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    2011年を勝手に振り返る ~ 震災と公の精神

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    2011年は、東日本大震災を抜きに語ることはできない。
    あんなに悲しいことはないし、もう二度とあって欲しくない。
    1万5844人の方が亡くなり、いまだに行方不明者は3468人を数える。(12/28時点)
    しかし、あの震災を契機に、人のために何か役立ちたいと強く思うようになったし、自分の力量だけでは到底達成できないものの、日本をもっと良い国にしたいなどという気持ちが強くなった。
    よく、日本がひとつになったと言われたが、公のために何かをしたいという気持ちが芽生えた(或いは呼び起された)ならば、震災は99%は負であっても、残り1%に光を見出さなければならないと思う。
    計画停電の夜、トイレの便座に座ったときに尻に感じた突然の冷たさは、電気のありがたみを再認識する奇妙な体験だった。便座を温める電力は、全てではないにしても、福島から供給されていたわけである。温かい便座に座りたいというあさましい我欲を押し殺すには、十分すぎるくらいの理由だった。
    忘れてならないのは、肉親や友人を失い、家を失い、そこから再起しようとする人々、また、いまだに行方が分からない3468人の家族の方々にとって、震災はまだ終わっていないということだ。

    私は子どものころから化け学が大の苦手だったこともあり、福島第一原発の事故直後から飛び交っていたシーベルトやらベクレルやら、セシウムやらストンチウムやらという議論からは早々に離脱した。
    理解できないから、ブログでは一切書かなかった。
    マスメディアは東電を殺人者扱いにして、糾弾した。
    東電は責められるべきである。少なくとも自己の第一責任者であることには変わりない。
    しかし、事故の現場で放射線にさらされながら、それでも事故を最小限にとどめるため、引いては日本を救うために活動した名もなきFukushima 50の存在、それを統率した吉田昌郎前所長の存在を忘れてはならない。
    吉田前所長やFukusima 50だけではない。
    南三陸町で防災放送の担当職員だった遠藤未希さんの、命を賭してひたすら避難を呼び掛け続けた行為にも感動した。
    拙ブログでも紹介した、「「スパリゾートハワイアンズ」震災当日の奇跡」も、現場力を象徴する感動的なエピソードだ。

    私は被災者ではないが、実際に被災したとしたら、今回の被災者のような節度、公共心、規律ある行動を取れた自信がない。
    被災者は世界から称賛された。
    反日で名高いニューヨークタイムズのニコラス・クリストフ記者でさえ、震災の翌日に同紙面で、「日本への同情、そして称賛」という記事を書いている。米国だけではなく、世界各国から、未曽有の災害下でも略奪ひとつない規律ある社会が称賛された。
    唯一といっていい例外は、韓国中央日報の「日本沈没」という見出しだった。同紙はつい先日、その3月12日の記事の見出しを「がんばれ日本」に編集しなおしたが、それまでの290日間は何だったのだろう。
    そういう特定の国を除けば、日本の規律や冷静さは、世界水準を遥かに超えている類稀なものと見られているのである。
    ITジャーナリストの佐々木俊尚氏は、前述のクリストフ記者の、阪神淡路の際の、こんなエピソードを紹介している。
    たいていの国では災害が起きると、略奪や救援品の奪い合いが起きます。テレビではそうした世界の映像がよく紹介されています。クリストフ記者も神戸でそうした事例が起きているのではないかと探し回り、そうしてようやく、「二人の男に奪われた」と証言するひとりの店主にたどり着きました。クリストフ記者は詠嘆しながら、こう聞きます。

    「災害時に悪事を働くような日本人がいたことに驚きましたか?」
    すると店主は、驚いたようにこう答えたそうです。
    「誰が日本人だって言いました? 犯人は外国人でしたよ」

    諸外国から見れば、日本人はどうしてこういう規律ある、人を思いやる、秩序を保った社会が維持できるのかという疑問があるのだろう。
    それに対する答えは、ひとつである。
    「だって日本だもの。日本人だもの。」

    とかく日本には、戦前は全てがダメで、戦後民主主義こそが良きものであるという風潮がある。
    義務がおざなりになり、権利こそ宝であるという気質だ。
    日教組は子どもたちに「権利」を教える。「プライバシーを守る権利」、「つまらない授業を拒否する権利」、「セックスをするかしないかを自分できめる権利」など、権利のオンパレードである。個こそ重要だという思想だ。
    しかし、震災後の被災者の高貴で冷静な振る舞いには、公が個を超越していることが見て取れる。
    日教組がどう教えようと、日本人に血肉化されたDNAは、そんなに脆いものではなかったのである。
    そのDNAとは戦後急にできたものではなく、古来から培われたものに違いない。
    私はこの震災は、そうした戦前と戦後を思想、信条、文化のあらゆる面で分断しようとしてきたサヨク団体、メディア等の敗北を決定づけたとさえ思っている。

    体験すると言うよりも、いろいろ教わったという一年だった。
    もちろん、綺麗事ばかりではない。
    政治は地に落ちるほど劣化し、明日の日本を任せられる状況にない。
    官僚は保身と我欲のために政治を支配し、国民のことなど二の次に考えているとしかとりようがない状況が続く。
    日本の現場力はそれほど衰えていないことがわかったいま、しっかりと日本を統治できる政治家を選ぶことが、2012年の国民の課題であると思う。


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