開戦の日は教育とメディアを再考する日

戦争批判と同時代性の欠如
今日12月8日は、日米開戦、いわゆる真珠湾攻撃があった日です。
1941年のことなので、今からちょうど70年前。
我が国は、無謀とも言われる大東亜戦争に、自ら突入して行きました。
歴史というものは、同時代性という視点が必要だと言われています。
現在の理論であれこれ批評しても、事象があった当時の情勢、空気なるものが理解できていなければ、その批評は机上の空論に終わるということです。
では大東亜戦争に突入した1941年の今日、日本はどういう空気に包まれていたのか。
当時の首相は東條英機です。
陸軍の出身で、総理大臣にまで登りつめた男です。
軍閥のボスであった東條なら、開戦は既定路線だったはず。
しかし、過日ブログにも書きましたが、東條は首相就任時に、昭和天皇から「外交による和平」という方針を受け、結果それが叶わなかったために、天皇に開戦を上奏する際、号泣したといいます。
ところがこの時、国民は、「鬼畜米英!」、「アメリカ憎し!」という空気で沸騰していた。
新聞やラジオは、強硬路線の扇動者だった。
確かに“政治家”東條に、敗戦という結果責任を求めることは当然かもしれません。
ただ、東條だけを悪者にして、当時の開戦を望む強烈な世論、それを煽ったメディアを無罪放免したならば、事の本質など決して見えてくるはずがない。
しかし、戦後のメディアも教育も、戦前から敗戦に渡る流れの中心にいた東條や軍部だけを悪者にして、戦前はすべて悪だという史観を頑なに守ってきたのが今日の日本なのです。
「日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」という、佐藤優氏の優良な著作を読めば、同時代性を共有しながら当時の情勢を理解することが可能です。
最近では、日米開戦は米国の謀略であったという、しっかりした根拠を持った歴史の見方も語られるようになってきています。
しかし、私が全てを知っているなどと言うつもりは毛頭ないが、ほとんどの日本人は、その近現代史の細部も本質も知らないのではないでしょうか。
自信を喪失するよう仕向けられた国民
イギリスのBBCなどが実施した2008年の国際調査で、日本が「世界に良い影響を与えている」と評価した比率は56%で、3年連続で世界のトップです。
日本への評価が高かったのはケニア(78%)、イスラエル(75%)、インドネシア(74%)、米国(70%)、イギリス(70%)などで、逆に低かったのが中国(55%)、韓国(37%)でした。
後者のふたつは、さもありなんという感じ(笑)。
しかし、笑ってもいられない数字があります。
この調査で、日本は自国に対する評価がたった36%。なんと、日本を忌み嫌う韓国よりも低いのです。
ちなみに中国の自国に対する評価は90%。
国定教科書による刷り込み教育と全体主義のなせる業とも言えるのでしょうが、逆に日本の自虐史観にまみれた教育が、自国に対する自信喪失を醸成したとも言えるでしょう。
戦後日本の教育の場で、一貫して刷り込まれた、いわゆる自虐史観です。
2億6500万ドルという、米国に次ぐ世界第2位の分担金(2010年)を国連に注ぎ込み、90年代は、ODAにおいても日本の拠出額が世界第1位。
世界に冠たる援助国であるにもかかわらず、多くの国民は日本が感謝される立場であることを知りません。
日本は世界を幸せにするために懸命に頑張っているのに、当の日本人が自国に自信が持てない。
これは無知であり、錯覚であり、本末転倒と言わざるを得ない。
この気質というものは、GHQが日本人の深層心理に植え付けたウォー・ギルト・インフォメーションによるところが大きいと思いますが、何者かが作為的に操作を施して、その史観が永遠に日本人の心に残るように仕向けなければ、戦後六十余年に渡って拘束され続け、苛まれ続けることもなかったはずです。
メディアと教育を再考する日
そりゃあ戦争は悪でしょう。
誰も殺し合いなど望むはずがない。
しかし、単に「戦争は悪だ」、「戦前の軍人が悪かった」で事を済ませ、「戦争反対!平和な国家を築きましょう!」というスローガンだけで、果たして本当に平和が保てますか?
不戦などという観念的平和論は、イデオロギーになりえないのです。
戦後日本は、戦争と310万人の戦死者、原爆という、傷の痛みと疼きをエクスキューズにして、本来なら軍をどう規定するかという問題に取り組むべきなのに、その作業を先送りしてきた。
即ち、軍という存在を意図的に遠ざけてきただけなのです。
そして自国に対する誇りという尊いものも、手の届かないところに遠ざけてきた。
いや、意図的にその誇りを否定してきたとも言えるのではないか。
誇りを否定するために一役も二役もかってきたのがマスメディアです。
南京大虐殺だの、従軍慰安婦だの、捏造してまで、そして特定アジア国をそそのかしてまで、日本を貶めてきた朝日新聞の罪深さ、澄ました顔して棄日に走るNHKなど、万死に値します。
戦前の軍部の暴走と今日のメディアのそれは、時代こそ違え、同類に位置付けられるとすら思います。
皇室だって貶められてきた経緯がある。
天皇陛下がご入院されたときの報道を見るにつけ、私は吐き気に似た感覚を持ちました。
皇室に対する敬語すらまともに使わないマスメディア。
アナウンサーは「ご入院」と喋っているのに、テロップには単に「入院」と出す。
意図的である以上に、悪意すら感じます。
軍は国家の必要条件であり、皇室は日本国の必要条件です。
教育の場で、これらふたつを公平、公正、かつ正確に教えられるようになったとき、自虐史観は自ずと薄れていくでしょう。
正直な話、こういうことを書くと、ブログには嫌がらせや攻撃が来ます(笑)。
開戦~敗戦という事実は間違いなく重いですが、その一方にあった日本の言い分という部分を、メディアや教育は抹殺してきた。
開戦の日は、教育とメディアを再考すべき日なのだと、私は思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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