終戦の日 ~ 負の歴史だけを追い求める史観に終止符を

今年も8月15日、終戦の日がやってきた。正確には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であるが、これを「記念日」と称することには違和感しかない。ともあれ、先の大戦で失われた三百万余の同胞の命に、心から哀悼の誠を捧げたい。
日本は敗戦国としてその立場が確定した。以来、日本の歴史観は、GHQが敷いた苛烈な言論統制と洗脳によって歪められ、戦勝国の歴史観が絶対的に正しいものとして受け継がれている。GHQが敷いた巧みで執拗な日本人の思想改造の詳細は、江藤淳の「閉ざされた言語空間」に詳しいが、GHQによるWGIP(ウォーギルトインフォメーションプログラム)の究極の目的を、江藤は「日本人にわれとわが眼を刳り貫かせ、肉眼のかわりにアメリカ製の義眼を嵌めこむことにあった」と表現している。その義眼をはめ込んだままの人たちが、いまの戦後民主主義者だ。
安倍元総理は第二次政権の発足当初、欧米のメディアから歴史修正主義者と呼ばれ、安倍総理が「侵略の定義は学術的にも国際的にも定まっていない」と言ったら、欧米も中韓も総バッシングである。欧米の歴史観や価値観に従順ではない日本の政治家は、こうやって叩かれる。南京虐殺否定論で大バッシングを受けた河村たかし氏の例も同じだ。そういった偏見を乗り越え、国際社会に日本の政策を訴え、国際社会における外交のリーダーとなった安倍総理は稀有な政治家だ。並大抵の政治家は、こういう戦いを避ける。その典型的凡庸の例が、現下の岸田文雄首相だろう。
日本は侵略国家であるというのが、中共や朝鮮の言い分だ。だが、彼らほど歴史を捻じ曲げる民族は珍しく、中共は「侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館」なるものを作り、プロパガンダの流布に余念がなく、南鮮は終戦当時は戦勝国だと言い張り、いまも被侵略国として様々な発信を続ける。だが、日本は歴史上、武力で捻じ伏せて他国を支配下においた事実はない。朝鮮とは国際条約を締結し、併合した。台湾は条約を結んで清国より割譲を受けた。親日で有名なパラオを含むマリアナ諸島は、国際連盟からの委任統治だ。これは歴史的事実であって、何の捻じ曲げもない。その事実ではないことを根拠に「謝罪しろ」と言われ続けたのが、我が国の戦後の歴史である。
大東亜戦争に至る過程で、米英蘭の列強は日本に石油を売らないという経済制裁を科した。彼ら列強は、日本にどれだけ夥しい失業者や餓死者が出ても構わないと思っていたのだ。確かに、当時の最大の貿易相手であった米国を相手に戦争をやるというのは無謀だっただろう。だが、「死ね」と言わているのも同様な仕打ちを受け、もし日本が戦わなかったら、他のアジア諸国と同じように、日本は植民地化されていたかもしれない。もっと悲惨な道をたどっていた可能性は大いにあるのだ。
歴史には光と影がある。日本の現代史においても影は確かにあり、全面的に肯定しようとは思わない。だが、負の歴史観のみに執着することはしない。石原慎太郎氏の「新・堕落論」というい著書に、旧海軍のエースパイロットだった坂井三郎氏が外国人記者クラブで講演したときのことが書かれている。
あの戦争について後悔など毛頭していない。自分も参加し懸命に戦ったあの戦争は今思い直してみればみるほど偉大な意味を持つ戦争だった、と切り出しました。講師の目の前に並ぶ外人記者たちからは寂として声がなかった。
歴戦の勇士らしく坂井氏はその雰囲気に全く気おされることなく、にこやかに微笑しなおし、「だってそうではありませんか。あの戦が起こったことで、戦後ほとんどの植民地は独立を果たし私のように顔の黄色い者、もっと浅黒い中東の人々、さらに真っ黒なアフリカの者たちは、その後の国としての出来不出来はあっても、すべて独立を果たし一人前に国連に参加し、世界の動向を決めるための一票を持つことができたのですからね」と。
石原氏はたった一人、拍手をした。それを聞き咎めた若い米国の記者から「石原、お前は極右の気違いだ」というメモが回ってきたそうだ。
今年は仕事で靖国には行けないが、日本の歴史を繋いでくれた先人に感謝し、戦没者を悼む。
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