青木理の「首相公邸は公的権力の中枢」というバカ理論を嗤う

昨日はほとんどTVを観る時間もなかったのだが、なにやらガーシーの帰国&逮捕で一色だったとのこと。私はこの御仁に全く興味もわかないけれど、立法府に所属している期間、本分である立法に係ることを自ら拒絶し、「暴露したるでー」などと息巻いていた行為そのものを軽蔑し、議員たる資格なしと断定する。ガーシーは自ら議員資格を返上しているが、そもそもこんな人物を担いだN党(現政治家女子なんとか)の責任は極めて重く、国政政党の立場から身を引くべきだろう。浜田聡などの有能な議員は、既成政党が引き受ければよろしい。丸山穂高も考えよ。
政治が世間のヒンシュクを買うのは2パターンある。先ずはガーシーのような資格不適合者が作り出す問題、もうひとつはメディアが作り出す問題だ。首相公邸画像流出事案は、さしあたって後者だろう。「非常識」だの「公邸の私物化」だの、岸田家の公邸忘年会の写真が週刊誌に流出したことで、左派メディアやパヨクはこれを最大限利用しようと、批判の声を上げている。保守陣営にもこの件を猛批判する人たちがいるが、私はこの問題、それほど騒ぐような事柄でもないという立場。どちらかと言えば、この忘年会が開催されたことより、画像が流出した危機管理の無さのほうが問題だ。
批判する人々を見ていると、中には問題を無理筋な理論で無制限に拡大する手合いも散見される。昨日のサンモニでこの問題を批判した青木理など、その典型だ。
皆さんからちょっとお話出たんですけれども、これその忘年会なんですけどね、私的な部分っていう声もあるみたいなんですけれども、ただこれ公邸が何であそこにあるのかと、官邸の横、それも国会議事堂のすぐ近くにあるっていうのは、これ言うまでもなく、その最高権力者たる首相が、国家的危機だったりとか対応、課題に迅速に対応するためにあそこにあるわけですね。
そうすると公邸ってのは、ある意味でこの国の究極の公的な空間であり、公的な権力の中枢なわけですね。
そこに親族を招いて忘年会をして、しかもはしゃぐっていうのは、どう考えてもやっぱり論外の所業ですし、ある意味で権力の私物化だ・・(以下、長いので略)
青木理は首相公邸を「この国の究極の公的な空間であり、公的な権力の中枢だ」と言う。こんな愚か者が地上波で発言権を得ていることに寒気がする思いだ。
首相公邸にはいくつか存在の理由があるが、危機に際して迅速な対応を可能とするために官邸横にあるというのは、青木の言う通りである。安倍元総理は富ヶ谷の自宅を居としていたことで、この点でかなり批判された。警護をする側にとっては、首相が公邸に居てくれた方がやりやすい。自宅通いともなれば、道中や自宅への警備は、周辺住民への配慮等が必須になり、明らかにやりにくい。
首相が公邸に住むということは、首相に住居を自ら選ぶ自由や権利すら。基本的にはないということだ。首相は国家のために公邸に居を構え、自由を制限された中で生活しているのだ。公邸は「国家の究極の公的な空間」ではない。公的な空間に住めというのは、その人の自由の権利もプライバシーも奪うということだ。それがわかって言っているなら、青木理は金輪際、自由とか権利などを口にすべきではない。
権力があるとすれば、それは首相官邸である。公邸に権力などない。バカも休み休みに言えと言いたいところだが、こういう人物にバカなことを言うなというのは「息をするな」と言っているのと同じで、不治の病というしかないのかもしれない。せめて、公共の電波を預かる者は、青木理のような人物の代わりに、もっとまともな人材を連れてきてもらいたいものだ。
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