憲法9条平和論と同根の「核なき世界」

産経新聞が「さすが、産経!」と思わせるような文章を産経抄に載せている。
▼首脳らが一列に並んで献花する姿は厳粛で感慨深かったが、やはり気になるものが目に留まった。毎年8月6日の広島市に原爆が投下された日に、テレビで大写しとなる慰霊碑の次の碑文である。「安らかに眠って下(くだ)さい 過ちは繰返(くりかえ)しませぬから」
▼広島市のホームページの「これまでに寄せられた主なご意見とその回答」欄によると、この言葉の主語は「全世界の人々」で、過ちとは「人類全体が犯した戦争や核兵器使用」のことだそうだが、とてもそうは読み取れない。何度読んでも、日本人が謝っているように思える。
▼各国首脳が碑文を読めたとしたら、日本人は卑屈だと勘違いして驚かないか。テレビ中継を視聴しながらついはらはらしてしまった。(抜粋)
終戦を知らず、フィリピンのルバング島で30年間過ごした元陸軍少尉小野田寛郎さん。私も靖国神社で一度お見掛けしたことがあるが、小野田さんが日本に帰還し、慰霊碑の碑文を読んで、「この石碑はアメリカが作ったのか?」と質問されたというのはあまりに有名な話だ。実際のところ、この反応が米国のWGIP(ウォーギルトインフォメーションプログラム)を受けなかった日本人の“素直”な反応だ。主語が「全世界の人々」で、「過ち」は「人類全体が犯した戦争や核兵器使用」だというが、これは後付けの講釈というもの。この碑文の一言一句が、戦後民主主義に洗脳された日本人の思考である。
ウクライナのゼレンスキー大統領が緊急来日し、G7会議に加わるという。ゼレンスキー大統領の狙いは、自由・民主主義陣営のリーダーであるG7各国からの継続的な支援を取り付けることもあるし、核使用をほのめかすロシアを牽制する狙いがあると言われる。被爆地というのは、単に象徴的な「核兵器の恐ろしさを発信する場所」であると同時に、政治的な駆け引きにも利用される場所でもある。それが現実であり、理想論だけではゼレンスキー大統領の来日を十分に理解することはできない。
首脳は広島の原爆資料館を訪問し、芳名録に記帳したそうだが、一様に「追悼」や「繰り返さない」、「平和を堅持する責務」などといった言葉を記した。バイデンは何を書いたか。
この資料館で語られる物語が、平和な未来を築くことへの私たち全員の義務を思い出させてくれますように。世界から核兵器を最終的に、そして、永久になくせる日に向けて、ともに進んでいきましょう。信念を貫きましょう!
NHK広島放送局の翻訳だから、どのような原文が記されたのかは分からない。だが、この文章から受ける印象は「他人事」ということばがぴったりだ。そして、資料館で語られているものは「物語」でもなんでもなく、「歴史的蛮行の記録」である。原爆を投下したのは彼ら米国だ。今さらどこかの国のように「謝罪しろ」と要求するようなことはしないが、彼ら米国にこそ、歴史を正当化せず、真摯に向き合う義務がある。
東京大空襲などを指揮し、「鬼畜ルメイ」「皆殺しのルメイ」と呼ばれたカーティス・ルメイは、戦後の著書で、「原爆を使用せずに戦争を終わらせることができたとしても、私は原爆投下は賢明な決定だったと思います」と書いている。そのルメイに対し、日本政府は航空自衛隊育成への功績を理由に、勲一等旭日大綬章を授与している。勲一等は天皇陛下が「親授」と言って、受賞者に手渡すことが慣例化されていたが、昭和天皇はルメイに対する親授を避けられ、航空幕僚長が代行した。恐らく、あまり広く知られていない歴史だが、こういう史実は語り継ぐべきである。
岸田文雄は芳名録にこう記帳した。
歴史に残るG7サミットの機会に議長として各国首脳と共に「核兵器のない世界」をめざすためにここに集う。
「核兵器のない世界」は理想論としては良い。しかし、その理想に一足飛びに行くことは現実的に不可能でだ。「核なき世界」を呼び掛けるだけで、それを現実化できるのだとすれば、それは憲法9条平和論と根本的に同じだ。中共や北朝鮮、ロシアといった核保有国に囲まれた我が国には、それらの国々に脅されないための「核抑止」は「死活的」に必要だ。岸田首相だけでなく、日本のすべての政治家が現実に真正面から向き合うことを望む。
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