「平和の準備をせよ」は、侵略される可能性を高める「武装解除せよ」と同義だ

安倍晋三元総理の回顧録が出版されるという。その書籍名もストレートに「安倍晋三 回顧録」。内容があまりに機微に触れるため、一度は安倍元総理が刊行を見送った、36時間にわたる未公開インタビューを収録したものだそうで、くだらない国会討論を聞くよりよほど勉強になるものになるだろう。死去後、安倍総理を評論する書籍や特集記事はかなりの量が出たが、安倍総理本人のことばに書籍を通してでも触れること自体、懐かしさを感じるかもしれない。いずれにしても必読の書になるだろう。
さてさて、その国会では、いわゆるColabo問題が維新の浅田政調会長によって衆院本会議の代表質問で取り上げられたが、その際の共産党席からのヤジがものすごかったと、同じ維新の音喜多氏がレポートしている。そのヤジも「本会議でやることか!」、「品がないよ!」、「誰が書いたんだよ、この質問!」という意味不明のことばかりで、自らColabo等との親和性について「答え」を出しているようなものらしい。共産党の逆ギレはヤジにとどまらず、1月28日のしんぶん赤旗に「維新 女性支援を攻撃 | 参院代表質問 「無駄な支出」」という記事を掲載している。赤旗は、浅田氏の質問を「インターネット上で行われているデマや誹謗中傷を助長するもの」とし、「維新の人権意識が厳しく問われる」と書いているのだが、浅田氏は「厚生労働省の国庫金支出の責任」や、「利益相反を含む事業の健全性」について質問しているだけだ。何をそんなに過剰な反応をするのかと問いたくもなるが、これも一種の「答え」なのだろう。
そういえば、東京新聞のイソコこと望月衣塑子が、赤旗の記事を引用しつつ、こんなツイートを発している。
なぜ、こんな当たり前の事がわからない大人ばかりなのか
— 望月衣塑子 (@ISOKO_MOCHIZUKI) January 26, 2023
故・加藤周一さん
「戦争の準備をすれば、戦争になる確率が大きい。平和を望むなら戦争を準備せよじゃあない。戦争の準備でなく平和を準備した方がいい。準備は容易に本当の戦争の方へ近づいていく。非常に早く強く」 https://t.co/Kiy3TKnnug
この加藤周一の「戦争の準備ではなく、平和の準備を」ということばを、志位和夫が1月11日の全労連と国民春闘共闘委員会の合同旗開きでのあいさつで紹介したのだそうで、イソコは「なぜ、こんな当たり前の事がわからない大人ばかりなのか」と、なにやら自分と見解が違う立場の人間をバカだとでも言いたげだ。「戦争の準備ではなく、平和の準備を」というのは、戦後の空想的平和論を象徴するようなフレーズだが、加藤周一が「九条の会」の呼びかけ人であったことを考慮すれば、特に不思議な感じもしない。
「平和の準備」が意味するのは、究極的には「武装解除」だろう。平和を維持するために軍事力を増強することが戦争に近づくのであれば、軍事力は必要ないという論である。武装解除をしなくても、他国に侵略を受ける事例がウクライナであることを考えれば、全く辻褄が合わない。この加藤周一論を素直に解釈するなら、「泥棒に入られないように家の鍵をかけたら、泥棒に入られるリスクた高くなる」ということになる。こんな主張を「こんな当たり前の事」と言い、「からない大人ばかり」と嘆くイソコには、家の鍵を外し、完全なる武装解除で暮らしてもらいたいものだ。
赤旗は、この加藤周一のことばを紹介する記事で、演出家の宮本亜門が沖縄県主催のシンポジウムで語った「戦争は天災ではない、人災だ。人災は止めることができる」ということばを紹介している。その人災を止められるなら、今すぐウクライナに行ってその主張をキーウのど真ん中で叫んでもらいたい。または、北京でもよろしい。侵略を実施中の国家や、侵略を隠さない独裁国家からは、侵略のハードルを下げるイデオローグとして、大歓迎されるだろう。
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