安倍総理の暗殺を「気の毒だが悲しいと思わない」人でなしと、あれが裁きだという狂気

米国の中間選挙の結果判明にはもう少し時間がかかりそうだが、前回の大統領選同様に、今回もいくつかの選挙区で投票機の故障や投票用紙の消失が指摘されるなど、相変わらずの荒れ模様らしい。米国の政治が現状維持でよいとは思わないが、米国の内紛が常態化してしまうと、東アジアへのコミットメントも不安定になる可能性があり、早く白黒つけてもらいたいものだと思う。
その米国では、月間アクティブユーザー数が3億3,000万人いるとも言われるTwitterをイーロン・マスク氏が買収し、トップの人事のみならず、運営ポリシーもガラガラポンし、サービスが劇的に変化したと話題だ。特にアチラ系の人々にはこの変化が好ましくないようで、左寄りのトレンドが目に見えて減少し、Twitter社がユーザーに提供するニュースネタも偏向ぶりが解消されつつあるという。凍結されていたトランプ前米国大統領のアカウントも、中間選挙後には復活されるようで、Twitterに漂っていた息苦しさのようなものはかなり解消される可能性がある。
イーロン・マスクは「言論の自由を復活する」と言っているようだが、それは言論の機会均等を意味するものであって、何を言ってもいいということではないはずだ。当然ながら言論には責任が伴う。このツイートを見て、そんなことが再認識されるように思われる。
有田芳生×前川喜平のセッション動画見てたら
— KURO@家庭連合二世 (@kateirengou_2nd) November 7, 2022
安倍さんが亡くなったことに関して、前川喜平が「気の毒だと思ったけど悲しいと思わなかった」→会場(笑いと拍手)→五十嵐えり都議会議員が笑った後に意味不明コメント
あの漫画家の件と同じ空気を感じました... pic.twitter.com/RMQ2aiSoPC
もちろん、安倍総理の暗殺を気の毒だと思っても、悲しいと思わないという個人的な感情は、前川助平の内心であって、彼の自由だ。ただ、こうやってSNSを通じて情報が拡散され、拡散された発言の主に対して批判が集まることも、今の時代では当たり前だ。発言に責任はないが、その内容が問題視されるのは必然なのだ。
この五十嵐えりという都議は、前川のコメントのあと、「ああいうかたちで裁きを受けるべきではなく、政治的に裁きをうけるべき方だった」とのたまった。五十嵐にとって、暗殺は安倍総理にとっての“裁き”なのだ。こういう人物は、まず議員である前に人として最大級の軽蔑を向けられるべきだ。調べてみると、この五十嵐、クイズ王小西の政策秘書をやっていたそうで、類は友を呼ぶの典型例として記憶したい。
安倍総理が暗殺されても、「気の毒だが悲しくない」と思う内心は、前川の「勝手の範疇」だ。だが、この政敵に対する冷酷さとか、人でなしっぷりだとかは、常識の範囲を遥かに超えている。こんな人物をNHK会長に推そうという人たちがいるのだから、それこそこちらが正真正銘のアベガーカルトというべきだ。
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