戦後サヨクの劣化を象徴するラサール石井

安倍元総理は、退任から1年半以上が経過した今も絶大な人気を誇る。現首相のダメっぷりもひとつの要因だが、ウクライナ戦争を目の当たりにし、あの猛烈な批判を受けながらも通した平和安全法制の正しさは、いまは多くの国民が理解するところだろう。保守派に人気があるのはもちろんだが、アチラ側の人々がいまだにアベガーを連呼する現状を見ると、アチラ側の人々も案外“安倍ロス”なのだろうなと思ったりもする。
今や世論調査では大半が支持を表明する「核共有の議論」も「防衛費の対GNP比2%越え」も、もとはといえば安倍氏が提唱して議論が始まった。自民党の安全保障調査会は「5年以内に必要な予算水準の達成」などという中途半端な提言でお茶を濁したが、その中途半端な表現には、議論を呼びそうなテーマや表現を嫌う岸田総理への忖度、および、公明党への配慮が透けて見えるようだ。与党内では圧倒的少数である公明党に配慮し続ける自民党も、情けない限りだ。
さて、安倍氏がいまだにアベガー連中の批判対象になっている件だが、かねてから問題発言で炎上気味であるラサール石井が、またやらかした。問題は、石井が、反自民・親小沢一郎メディアのゲンダイに持っているコラム「東憤西笑」の最近の記事「安倍元首相が靖国神社に参拝するのなら沖縄の戦没者のためにも土下座すべきだ」に出てくる一節だ。
先日は靖国神社を参拝し、「英霊の尊い死のおかげで国は守られている」と発言。軍部の独走と見通しの甘い作戦下で、兵隊のほとんどが餓死した先の戦争は英霊も民間人も悲惨な目にあった。
むしろ敵ではなく国に殺されたようなものだ。その死を美化し称えられても彼らはけしてうれしくないはずだ。きっと「二度と戦争はごめんだ」と思っているだろう。
戦ったのは兵士だけではない。「守った」というならまさしく水際で戦い、学生や少年までも駆り出された、沖縄の民間人の犠牲こそ、本土決戦までの時間稼ぎであったはずだ。
安倍元総理もネトウヨのテーマパーク靖国神社に行くなら、次の日には沖縄に飛び、戦没者慰霊のあの大量の石碑の前に土下座して追悼すべきだろう。(抜粋)
どんな思想信条を持とうと自由だが、表現には節度が要求されるし、同時に限度というものがある。石井が使用した「ネトウヨのテーマパーク靖国神社」は、その節度も限度も超えるものだ。三流週刊誌に分別を要求しても無理なのかもしれないが、現代もよくこの表現を通したものだと呆れる。
ラサールは、靖国の英霊が「国によって殺された」と、GHQが植え付けた史観の受け売りをしている。だが、ことばでは英霊を慮っていると見せかける石井は、実は英霊を侮辱している。英霊の思いを忖度すること自体が不遜、傲慢で、英霊を安倍批判に利用することも恥ずべき行為だ。
ラサール石井を見ていると、アベガー連中の語彙の貧困さ、ひいては戦後サヨクの劣化を実感する。強く激しい言葉で安倍氏を批判することで、反安倍陣営に連帯を呼び掛けているのかもしれないが、そんなアジテーションに乗る国民が極めて少数派であることは、最近の世論調査の政党支持率を見れば一目瞭然だ。要するに、彼らの強くて激しいアベガー発言の数々は、何の効果も発揮しなかったし、何も結実させることができなかったのだ。潔く負けを認め、「岸田批判でもやってろ」と言いたい。
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