国連中心主義の幻想を自覚し、それを捨てよ

プーチンの最側近であるメドベージェフ(ロシア安全保障会議副議長)が、スウェーデンとフィンランドがNATOに加盟した場合、バルト海に核兵器を配備すると警告したという。国連で安全保障理事会常任理事国という特権を持つ核保有国が、相手方の集団安全保障体制に対して核で恫喝するという展開だ。このひとつをとっても、国連という組織の機能不全を如実に表している。国連に紛争を解決する能力はないということが結論とならざるを得ないのだ。
BSフジのプライムニュースに出演した、自民党の小野寺五典氏は、この国連と我が国の憲法を絡め、こう語った。
日本国憲法ができる時に”前提”としたのは国連中心主義で、国連に入っていれば集団安全保障で守らる、国連加盟国であれば絶対攻撃されない、だから平和憲法で私たちは武器を持たなくていい、戦争を放棄できるとう前提があった。ところが、その前提の中心的な国(ロシア)が戦争を起こし、侵略をしているということは、国連事態の幻想はもうないと。その幻想に合わせて作った日本国憲法も幻想だと考えざるを得ない。
国連と言う幻想に依存している日本国憲法の中身の希薄さを理解する上で、極めて的確な指摘だろう。
この指摘を受けたうえで、日本国憲法の前文を改めて読んでみる。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
「われらの安全と生存を保持」するためには、諸国民が公正であり信義が前提になっている。だが、ウクライナに宣戦布告もせずに武力侵攻という侵略を行い、非戦闘員までも殺戮するプーチンに「平和を愛する公正も信義もない」ことは今更指摘するまでもない。だから、この憲法前文で謳われる「崇高な理想」など、意味がないのだ。
本来、この崇高な理想として挙げられる「平和を愛する諸国民の公正と信義」など、無垢の同胞を拉致し、自国に連れ去った北朝鮮の国家犯罪が判明した時に「ない」と気づいていたはずだ。その北朝鮮が、横田めぐみさんを拉致してから45年間経つが、北朝鮮は変わるどころか、核開発を推進し、日本海に向けてミサイルを撃ちまくっている。金正恩に「公正と信義」など、期待すべくもない。こんな現実に直面していながら、日本国が現実逃避を続けるなら、国の存続すら危ぶまれる。
国連中心主義という幻想のなかで平和憲法を金科玉条のごとく尊ぶなら、思う存分やればいい。だが、私はそんな主義や幻想と運命を共にする気はさらさらない。日本国憲法は今すぐ改正すべきだ。
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