核シェアリングの議論を頭ごなしに抹殺するのは、国民を排除することと同じ

衆議院が昨日、「ロシア軍による侵略を最も強い言葉で非難する」としたうえで、ロシアに対し即時の攻撃停止と部隊の撤収を求める決議を、賛成多数で採択した。毎度の通り、れいわは賛成しなかった。「なんだ、ロシアなら名指しできるじゃん」というのが最初の印象だが、日本の議会の意思を示すためには良い動きであることには違いない。
今や地球規模の嫌われ者となったプーチンが、核兵器の使用も示唆する発言を行い、事態は一層混乱している。核兵器とは、北朝鮮の例でもわかる通り、持っていれば他国に蹂躙される可能性も減るが、実際に使用できないものだ。仮に使用すれば、その国の存続すら危うくなる。威嚇や恫喝には有効だが、武力としては機能しない。だが、その通念を破るような狂人が核を持てば、「使えるわけがない」という概念に疑問符が付くのだ。
ただし、昨日も書いたように、日本がその武器を所有するか、もしくは他国とシェアするかという政治イシューについては、とことん議論すべきだ。安倍元総理が日曜日に「議論すべき。タブー視してはならない」と発言したら、香ばしい陣営がとたんに脊髄販社を見せている。
まずは保守派に大人気(笑)、山口二郎大センセーだ。
安倍氏、核共有にふれ「世界の現実、議論タブー視ならぬ」 フジ番組 https://t.co/FvXWwHzt1y
— 山口二郎 (@260yamaguchi) February 27, 2022
今回のプーチンの侵略と日本の核武装との間に何の関係があるのか。核兵器は安倍のような愚かな政治家に持たせるにはあまりに危険な玩具である。
今般の状況は、山口二郎センセーらにとってはまさに悪夢だろう。憲法9条が国防面で役に立たないことが露呈し、核の使用を示唆して他国を威嚇する国がご近所にいるのだ。核シェアリングの類は、平時に議論しようと思っても無理だ。野党と左派メディアが一斉に反発し、発言の主は袋叩きに遭い、政治生命まで危うくなる。だが、今回の事案では、国民が安全保障の危機をリアルタイムに注視することになり、言葉は悪いが、「ウクライナのようにならないために、日本は何をすべきか」という具体論に発展している。プーチンの侵略と核武装には大いに関係がある。山口大センセーは、「安倍のような愚かな政治家」というレッテル貼りで議論の深まりを阻止しようとするのだが、国民は山口センセーが考えるほど愚かではない。大センセーには「愚かなのはどちら?」と問いたい。
お次は朝日新聞だ。
こうしたなかで安倍元首相が不見識極まりない発言をした。米国の核兵器を日本に配備し、有事に日本が使えるよう協力する「核共有」について言及し、「世界の安全がどう守られているかという現実についての議論をタブー視してはならない」などと述べた。
戦争被爆国としての自覚と責務がみじんも感じられない。国際秩序が揺らぎ、核が拡散する未来の先に、日本を含む国際社会の平和と安全はないという現実こそを直視すべきだ。
3月1日の社説「ロシアの威嚇 核の連鎖あおる危うさ」からの一節だが、これもひとつの現実逃避だ。そもそも戦争被爆国の自覚と責務を言うなら、核兵器保有国の自覚と責務を質すのが先だろう。そして、自前の軍事力を整備し、核保有もしくは核の傘にある国が平和を保っているという現実と対比し、そのうえで日本に足りないものは何かを検討するとき、核や集団安全保障体制は避けて通れないテーマなのだ。
特定野党の憲法審査会と同様に、「議論すらしない」というのは、国民をつんぼ桟敷に置くことに他ならない。主権者である国民が議論を望むなら、堂々と両論を戦わせるのが国会であり、両論を対比させてどちらが国是化を問うのがメディアの役割だ。手前勝手なイデオロギーで、国民を排除する資格がないことを、メディアには問いたい。
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