「太平洋戦争」と「大東亜戦争」の本質的な違い

日米開戦の12月8日、朝日新聞は社説をこう始めている。
80年前のきょう、日本は米英両国に宣戦を布告した。
中国大陸での戦闘が泥沼化するなか、なぜ新たな無謀な戦争に突き進んだのか。政府が情報を隠し、自由を縛り、市民から主体的に判断する力を奪ったとき、国はいかに道を誤るか。
当時を知る人が少なくなったいまこそ、歴史を検証し、教訓を引き出す営みは、いっそう重要になっている。
あわせて、国を超えて平和の尊さを次代に語り継ぎ、友好を確かなものにすることも、現代を生きる者の大切な務めだ。
先の大戦に突き進んだ国家としての判断が誤りだったというのは、いまや定説化している。だが、こと戦争に関してはいつも以上に、朝日の主張は一面的だ。例えば「政府が情報を隠し、自由を縛り、市民から主体的に判断する力を奪った」というが、国家が情報を統制したのは事実だったとしても、あの当時、多くの国民は戦争を支持し、朝日を含むメディアは戦争を煽った。朝日は戦後、反戦路線に「転向」したが、自らが戦争を煽った事実は消えない。どうかそんな自社の歴史も、広く読者に語り継いでほしいものだ。
さて、その朝日がまた言葉狩りを開始したようだ。今回の標的は、元自民党衆議院議員の西川京子氏だ。
太平洋戦争「アジア栄えさせるため」 元議員の学長、高校講演で発言(朝日)
元自民党衆院議員で文部科学副大臣などを務め、現在は九州国際大学(北九州市)学長の西川京子氏(76)が、10月に熊本県立高校であった講演会で太平洋戦争について「アジア全体を栄えさせ、独立させるための戦いだった」という趣旨の発言をしていたことがわかった。9日の県議会一般質問で取り上げられ、県教育委員会の古閑陽一教育長は事実関係を認め、「政府見解や学習指導要領とは一部異なる内容があった」との見解を示した。
九州国際大は朝日新聞の取材に、「学長が不在で取り次ぐことができない」としている。
県教委や高校によると、講演会は10月8日、県立御船高校の創立100周年記念行事として行われ、全生徒約490人らが体育館やオンラインで聴いた。西川氏は約1時間の講演の中盤で、太平洋戦争を「大東亜戦争」と呼称した上で、その正当性を主張したという。(以下略)
これは記事にするような話か、というのが第一印象。例えば大東亜戦争という呼称は法的に禁じられたものではない。戦後、GHQが日本占領政策において、日本のアジアの開放という戦争の大義を消し去り、日本人の記憶から抹消するために「大東亜戦争」という呼称を禁じた。1945年12月15日のことだ。いま一般的な「太平洋戦争」というのは、その代わとしてGHQが設定した呼称だ。江藤淳はこの歴史的な役割を、こう解説している。
つまり、昭和二十八年暮の、八日から十五日にいたる僅か一週間のあいだに、日本人が戦った戦争、「大東亜戦争」はその存在と意義を抹殺され、その欠落の跡に米国人の戦った戦争、「太平洋戦争」が嵌め込まれた。これはもとより、単なる用語の入れ替えにとどまらない。戦争の呼称が入れ替えられるのと同時に、その戦争に託されていた一切の意味と価値観もまた、その儘入れ替えられずにはいないからである。すなわち、用語の入れ替えは、必然的に歴史記述のパラダイムの組み替えを伴わずには措かない。しかし、このパラダイムの組み替えは、決して日本人の自発的な意思によって成就したものではなく、外国占領権力の強制と禁止によって強行されたものだったのである。
そのうえで朝日は、西川氏の「アジア全体を栄えさせ、独立させるための戦いだった」という趣旨の発言を批判しているが、朝日はなんのために中韓以外の国に記者を駐在させているのかを問いたいくらいだ。なぜ中韓以外のアジア諸国が概ね親日的であり続けるのか。それは、戦後の日本がそれらの国々に対してせっせとODAをつぎ込んだからではなく、彼らが少なからず、日本のアジア開放の戦いによって「独立」という恩恵を受けたからだろう。
西川氏はいまは民間人だ。その民間人の言論に対して特定の価値観を押し付けて批判し、言論を統制しようとするなら、朝日は「言論の自由を阻害するメディア」と定義して差し支えない。子供のころ、本当の歴史を教わることができなかった私のような人間は、西川氏の講義を聞けた熊本県立高校の生徒諸君を羨ましくも思う。
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