限定的な権力しか持たない政府を「独裁」認定したがる青木理の被害妄想

日本のいまの政治体系で独裁政治などありえないのだが、そのあり得ない政治体制をしているかの如く批判されたのは安倍前総理だ。安定した安倍長期政権は、多くの改革を実行したが、道半ばで断念を余儀なくされた政策も、実行したものと同じく多い。憲法改正もそのひとつだ。ところが残念ながら、安倍長期政権は、憲法の一字一句変えることができないまま退陣した。安倍政権が独裁体制を敷いているかのような言説は、悪質なプロパガンダでしかないのだ。
菅政権に代わり、「独裁」ということばは以前ほど語られなくなった。だが、その「独裁」を今でも引きずりたがるパヨクもいる。その典型例が青木理だ。青木理はほぼ隔週でTBSのサンデーモーニングに出演し、我々視聴者にネタを提供してくれるのだが、昨日のサンモニもそういったネタが満載の回だった。番組の締めくくりの「風をよむ」では、ベラルーシのルカシェンコ政権の強権政治を取り上げたのだが、青木理がこんなことを言っている。
コロナ見てて、民主主義のほうが効率が悪かったかなっていうのは議論があるところでね。そんなこともなかったんじゃないかって気がするんですけど、
ただ独裁か民主主義かといったら、一部の変わった人はともかくとして、この国、いま日本でこの番組をご覧になってる方、大半の人はやっぱり民主主義がいいと思っていると思うんですよね。
ただ皆さんからちょっとお話でましたけど、我々、日本のいま我々はどっちに向かっているんだろうかと。
この5年10年考えるとね、たとえば特定秘密保護法とか共謀罪とかね、最近だと土地利用規制法案とかね、あるいはデジタル情報法案とかっていうのがもうどんどん通っていって、治安官僚の力がものすごい強まってね。で、政府にもう個人情報がわーっと集まるようになってるわけですよね。
一方で政府の情報というのは隠蔽されたり捨てられちゃったり改ざんされちゃったり、情報公開って面でいうと非常に遅れている。
僕らは政府のことを知らないけれども政府は僕らのことを知っているっていうのはこれ、独裁とか圧政のある種の象徴だというのがあの言葉が昔からあるんですけれども。で、かつそのメディアの自由度なんていうのも六十何位まで落ちちゃってきている。ジェンダーもそうですね、人権の問題でもかなりここ日本は遅れを取っちゃってるって事を考えると、どうも圧政とか独裁の方に我々も進んでませんか?っていうあたりは、ほんとに気を付けて見ていないと、ベラルーシを見て「とんでもない国だね。俺たちは大丈夫」と言ってる場合ではないんじゃないかなって気はします。
青木に被害妄想癖があるのか、もしくは現実を曲げてしか理解できないのかは不明だ。しかし、この言説は言い掛かりというものだ。
青木の言うように、国家が国民のありとあらゆる情報を持っているなら、コロナワクチン接種における大混乱は起きていない。或いは、特別給付金だってより迅速に支給されただろう。青木の言う「政府が国民の個人情報を握ってコントロール下に置く」というような言説は、悪質な印象操作でしかない。国家にできないことを、さもやっているかのように触れ回るのはデマの流布以外のなにものでもなく、そういうのをジャーナリズムとは言わない。
緊急事態宣言にしても蔓延防止措置にしても、国家は国民にお願いすることしかできない。憲法に非常事態の定義もないから、日本国政府は非常事態を宣言し、国民の自由を一時的に制約することさえできない。その状態を圧政というなら、非常事態の定義を持ち、ロックダウンさせる権力がある他国は、ほぼすべてが独裁国家だと言わねばならない。青木はその簡単すぎる矛盾に気付いていないのか。
彼らパヨクは、法が権力を縛るのが立憲主義だと言い張る。だが、権力を縛ることばかりを言い、委ねるべき権力については考えも議論もしないから、こういう自己矛盾に陥るのだ。
遅れているのは、青木理のようなパヨクのほうである。
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