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    憲法記念の日 ~ 国民の危機感欠如という安全保障最大の「穴」

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     5月3日は憲法記念の日である。毎年書いているような気もするが、記念の日とはいっても、決して目出度い日ではない。アチラ側の人々は、戦争放棄を憲法に定めた日だのなんだの、旧態依然とした言説を毎年リピートしているが、こういう化石のような人々こそおめでたいと、個人的には思う。

     NHKが実施した憲法に関する意識の世論調査では、下記のような結果が出ている。

    今の憲法を改正する必要があると思うかどうか
      「改正する必要があると思う」33%
      「改正する必要はないと思う」20%

    戦争の放棄を定めた憲法9条を改正する必要があると思うか
      「改正する必要があると思う」28%
      「改正する必要はないと思う」32%


     この結果で先ず言えるのは、立憲民主党などの特定野党が、積極的に憲法議論に参加すべきだということだ。憲法改正が「必要ない」という答えは全体の2割程度であり、「必要がある」という意見も33%と、まだまさ少ないが、それでも「必要だ」という意見を持つ人が上回っている。この意見を無視し続けるのであれば、彼らの態度は国民への背信行為だということになる。

    NHK世論調査


     次に、憲法9条に関して問うた調査では、「改正する必要がある」が28%、「必要はない」が32%と拮抗したが、9条改正に必要なしが若干上回った。問題なのは、9条改正の必要なしと答えた人の理由だ。

      「戦争の放棄を定めた憲法9条を守りたいから」56%
      「すでに国民の中に定着しているから」16%
      「基本的人権が守られているから」16%
      「アジア各国などとの国際関係を損なうから」4%


     卒倒しそうになる。最も多い「戦争の放棄を定めた憲法9条を守りたいから」という答えは、いったい「戦争の放棄を守りたい」のか、「戦争放棄を定めた憲法9条を守りたい」からなのか、判然としない。9条を守りたいというのであれば、それは最早宗教である。9条を守れば平和は維持できるという「迷信」が、今も一般国民の中にある程度浸透していると言うことだ。戦後民主主義における刷り込みの産物だ。

     次に、「定着しているから」は理由にならない。「定着したものは変えるべきではない」というなら、その定着したものが想定する対象も定着していなければ、理由としては成立しない。現下の東アジア情勢を見る限り、定着したものなど皆無に等しい。それを「定着しているから9条は変えるな」というなら、それは平和ボケ以外のなにものでもない。

     「基本的人権が守られているから」もわけがわからない。基本的人権は11条に規定されるものであって、それを9条に引っ張ってくるのは無理筋だ。「アジア各国などとの国際関係を損なうから」という理由も話にならない。アジア各国とは恐らく中韓の事を指すのだろうが、日本の平和を脅かす両国(主に中共、南鮮は竹島問題等)の関係を9条で担保しようとすること自体がおかしい。

     ことほど左様に、今の日本にも平和ボケが広くはびこっているのである。中共が領土・領海的野心を露わにし、我が国の領土を脅かしに来ているにもかかわらず、「改憲は必要なし」「「どちらともいえない」が合計で6割もいること自体、日本国民の鈍感さ、危機感のなさは致命的だとさえ思える。国民の危機感こそ、安全保障の根幹なのだ。このままでは、領土の一つや二つ奪われなければ、この危機意識はそのままなのかもしれない。しかも、領土の一つや二つ奪われた段階でも、「平和的解決」「話し合い」を主張する戦後民主主義の信奉者が露出するようになるだろう。

     問題は政治、教育、報道の3つだ。しかし、今から教育に手を入れたところで、結果が出て来るのは数十年後になる。政治や報道は、国民の投票行動や、偽善、歪曲、捏造報道などを批判することで、広く周知することは可能だ。とりあえずこの辺から始めなければ、憲法改正する前に、日本は大事なものを失うことになる。時間はあまり残されていない。

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    13 Comments

    今国 護

    反対しているのが日本国内の支那朝鮮系と丸わかりです。
    特亜思想とか含めて。
    しかも「9条守りたい」とかいう奴らほど
    憲法どころか、日頃から、法も規則も守らないレベルです。
    パヨクの行動見れば分かります。
    そもそも、その占領憲法を押し付けた米国でさえ今は
    「変えて良いよ」と言っているのですから。

    Alinamin2011

    日本人は狂気から覚醒せねば

    9条は、文面通りに読めば、いわゆる非暴力主義ですね。

    非暴力主義は、耳触りはいいかもしれませんが、有事の際にこれを実践すると非常に多くの人命が失われます。
    何しろ、殺されても殺されても、一向にやられっぱなし、殺す方もだんだん気持ち悪くなってきて、ついには疲れてやめるだろうという、恐るべき作戦ですから。
    非暴力主義は、実際には殺戮主義を上回る人命軽視策です。

    非暴力主義を実践した人といえば、ガンジー。
    ナチスのユダヤ人ジェノサイトにから逃れたユダヤ人に対してガンジーは、海に身投げすれば英雄であれたものをと言ったそうです。

    こんなことを国家が国民に強いたら狂気です。
    護憲論者が最も忌み嫌うであろう、一億玉砕などというスローガンと同じです。

    そんな狂気を憲法として国民に強いている状態が現在の日本なのです。

    国民の生命と財産を護るという、政府の役割とも真向から矛盾する、論理的正当性がない内容になっているのです。

    押し付け憲法だ何だと、他責に帰そうとする向きもありますが、どんな背景があろうと、日本の国会で一旦これを議決したわけです。
    日本国民の手で改憲せずして、どうして子孫に顔向けが出来ましょうか。

    改憲は、完全に道理です。

    無理が通って道理が引っ込んでいる今の憲法を一刻も早く修正しましょう。

    ツクノ

    ○「戦争の放棄を定めた憲法9条」、その平和の訴えで、日本国は平和だ、戦争も起きていないと、錯覚している日本国民は多い。それは、護憲派や野党左派などのプロパガンダがあるからなのだが、事実上、日本国を守っているのは、自衛隊と米軍などの同盟国、警察などの闘う組織だ。

    ○外国の侵略から、たいせつな家族、親しい友人、まじめに働いて暮らす人々を守りたいのなら、日本人は闘う意志と勇気を持ち、改憲の法整備も必要だと思う。

    ユーカリ

    憲法第9条

    「戦争の放棄を定めた憲法9条を守りたいから」56%

    未だにこんな数字とは・・・「何をか言わんや」だね。
    守るのは9条ではなく国なのに・・・

    1947年5月3日に施行された無抵抗憲法だが・・
    その5年後には竹島が占領され、そのずっと後には日本本土で
    日本人が数十人(数百人との説もある)拉致される。
    そして現在では尖閣諸島で領海侵犯される毎日なのである。

    脱北した元北朝鮮・拉致工作員が「日本に上陸しても命の心配もなく安心の下に易々と拉致を実行できた」と語っている。
    すべて彼らにとっては9条のおかげなのである。

    シナ・北朝鮮は日本の憲法9条と自衛隊法をよく研究していて、
    領土・領海・領空侵犯しても9条に縛られた自衛隊が先制攻撃が
    出来ないということを知り尽くしているのである。







    • 2021/05/03 (Mon) 12:20
    • REPLY

    HAKASE(jnkt32)

    憲法は「聖典」ではない

    お疲れ様です。拙者、遠く大学時代に ある刑法学の教授より「本当は、憲法も
    必要なら改正して良いものだ」との講義を受けた者です。余り有意義な学生時代
    とは言えませんでしたが、この時受けた薫陶が 今の己に繋がった所は大きいです。

    「憲法は、時代と共に変わるもの」とのお言葉を、作家・落合信彦さんも残さ
    れており、正に真実を突いたものと心得ます。現行の日本国憲法が、世紀を超
    えて 決して有益とはいえない存続をしている事自体が異常と言えます。最早
    護憲だけで国内外の諸問題と対峙しようなどとは、甘過ぎる了見と言え「いつ
    までも聖典視するのはやめよ」と申したいです。

    中国大陸などによる沖縄・尖閣やロシアによる北方への脅威を初め 安保面も
    さる事ながら、流行が長期化している中国大陸他由来の新型コロナ・ウィルス
    感染症問題にしても、現行憲法が想定しない私権制限等を大胆に行わないと、
    安定した鎮静化は困難な様で、我国の将来展望の見地からも 憲法を含めた法
    制度の見直しは不可欠でしょう。恐れながら今回貴記事も拙リンク致したく、
    お届出の次第であります。

    • 2021/05/03 (Mon) 13:29
    • REPLY

    翠子

    憲法改正という言葉の陰で、「国民の自由な言論が統制され、政府の意向に合わない意見を取り締まれるようになり、投票権がなくなる可能性がある」「最高法規から基本的人権が削除される」「外国人の地方参政権、医療、年金、生活保護、福祉がОKになる」「宗教の政治活動容認」がなされようとしているといるかもしれません。
    以下のブログにご注目ください。

    「足湯でよもやま話」
    https://plaza.rakuten.co.jp/hinaryou/diary/202104300002/
    https://plaza.rakuten.co.jp/hinaryou/diary/202104220000/
    https://plaza.rakuten.co.jp/hinaryou/diary/202104150000/

    とらこ

    先ほどフジプライムで反町司会が見せて下さった各社の改憲調査では、そのNHKだけが突出して改憲賛成数値が低かったです。

    挙げられたNHKの調査項目と回答を見ますと、調査対象になった方々は今時珍しいぐらいに国際環境的視点が素朴というかはっきり言って欠落しているように感じます。
    この方々には例えば北朝鮮に依る拉致問題をどう受け止められているのでしょうね?
    我が身に起きなければどうでも良いと思うのであれば、一国平和主義さえ覚束ないであろうにと思います。

    4%の<アジア各国などとの国際関係を損なうから>は、例によって例の如しの「特定アジア各国」を言うのでしょうから、広く世界を見て下さいね、と申したい。

    • 2021/05/03 (Mon) 23:17
    • REPLY

    とらこ

    追加

    英国のメイ前首相の頃からも日英同盟の希望が示されたとか、ファイブアイズへの招待などの話題が時々聴かれるようになりましたが、日本の憲法の特に九条の存在がそれらを不可能にしているのではないか?という気が致しますが、思い過ごしでしょうかね。

    • 2021/05/03 (Mon) 23:27
    • REPLY

    レッドバロン

    確かに、基本的人権を定める憲法第11条を9条に結びつけるのは無理筋ですが、徴兵を含む国民の防衛義務を基本的人権の最大の敵と見る9条カルト信者から見ればむべなるかな。自分たちが戦争に巻き込まれなければ、日本国家がどうなろうと、基本的人権は守られる‥‥という恐るべき思考法があるやに思います。

    日本国憲法が平和を守った実績は存在せず、すでに朝鮮戦争に日本国は実質参戦しています。開戦劈頭から掃海部隊の派遣要請(実質命令)を受け、日本の掃海部隊は開戦から半年間で54名の「戦死者」を出しています。これが参戦行為でなくて、何なのか。戦後、戦死者の遺族は当然靖国神社に合祀されると思って待っていたら、いつまで経っても連絡がない。どうしたものかと靖国神社に問い合わせると、靖国神社への合祀は厚生省からの通知があって行われる。政府が戦争行為と認めなければ、神社単独ではどうしようもないとの回答に愕然としたとか。平和憲法の建前の影に、恐るべき欠礼が行われていたのですな。

    付言すると、日本共産党も党レベルで参戦しています。平和の党とは真っ赤な嘘。軍需物資の生産設備や輸送ルートの破壊や妨害に熱心に取り組んでいましたからね。冷戦どころか、北朝鮮系の第五列と並んで日本国内で熱戦を敢行していた訳です。

    1947年憲法当時は米国のみが原爆を保有していました。9条の裏側には米国の核独占があったのです。但し、その2年後にはソ連による原爆実験が開始され、その後には中共人民義勇軍が鴨緑江を越えて米軍と交戦するという事態を招きました。先の見えない大国、米国製の憲法はわずか数年でスクラップになるはずでしたに、持ちの良い国があったもので。冗談は終わらせなくてはなりません。

    なお、私の憲法学のセンセは一応大学教授でしたので、戦前は天皇主権、戦後は国民主権などという中高生向けの戦後民主教育の与太話は論じませんでした。明治憲法には主権概念がなく、あえて言えば国家主権というものでありました。一年生の頃、これぞ高等教育と感じ入った覚えがあります。

    • 2021/05/04 (Tue) 00:07
    • REPLY

    とらこ

    秘かに、我慢強く、お待ち申し上げておりました!バロン閣下。
    頻繁にお書き願いたい。です!!!

    • 2021/05/04 (Tue) 17:02
    • REPLY

    ツクノ

    レッドバロンさん
    >明治憲法には主権概念がなく、あえて言えば国家主権というものでありました。

    ○私は、憲法に詳しくないので、勉強になります。明治憲法の主権と統治権、同一視する説と区別する説があるようですね。
    https://core.ac.uk/download/pdf/327161288.pdf
    (参考、「明治憲法における主権と統治権」富永 健)

    同一視する説…穂積八束博士、上杉愼吉博士、清水澄博士
    区別する説 …美濃部達吉博士、佐々木惣一博士、淺井清教授

    ○私は、美濃部達吉さんの考えに近いのですが、いずれにしても、今、日本国憲法の主権は、日本国民にあります。ただ、いかに主権のある日本国民だといっても、議院内閣制なので、ひとりひとりに強大な権力はなく、それなりの制限もあると思います。

    ○今思えば、不敬とされた「天皇機関説」(…というと聞こえは無機質なので誤解されやすいのかもしれないが…)は、大日本帝國憲法の法解釈として、正しい考え方ではないかと思う。なぜなら今、日本国憲法では、「日本国民機関説」のような主権の状況ではないか、と思うからです。

    レッドバロン

    ツクノ様

    もともとキリスト教世界では主権者というのは全治全能の神のことでした。唯一なる神は人間を含めてこの宇宙をいかように運用し、処分するかは完全に自由でした。国家国民に対してその神の位置に座ったのが王権神授説時代の王であり、その肥大した政治的地位に民衆をスライドさせたのが市民革命時代の「国民主権」なる概念ではなかったのではないかと私は思っております。すなわち生かすも殺すも売却処分するのも主権者の自由という大それた思想が明治憲法を創った人たちには存在しなかったのではないかと考えるものです。天皇の権威はあっても、それは天照大神の神託によるものであり、所詮日本に絶対者は存在せず、あらゆるものは日本の歴史と文化の制約の下にあります。私の先生がそこまで仰った訳ではありませんが、ヨーロッパ近代の憲法学と日本の成り立ちはどうも根本的に相性が悪い、と言えると思います。

    天皇機関説の問題にも似たようなことが言えるかと。昭和陛下ご自身は軍人勅諭に「朕は汝ら軍人の頭首とある、頭首とはまさに機関のこと
    ではないか」と極めて明晰にお答えになっておられますが。


    とらこ様

    ありがとうございます。頑張ります。

    • 2021/05/05 (Wed) 00:06
    • REPLY

    ツクノ

    レッドバロンさん

    ○返信、ありがとうございます。なるほど、興味深い話ですね。日本神話では、「八百万の神(ヤオヨロズノカミ)」という言葉をよく聞くと思います。記紀にあるように、最初は1神、後に7神となり、イザナギノミコトとイザナミノミコトの大八嶋国の創生神話の後、八百万の神、つまり多くの神々は生まれます。八百万の神は、神無月に出雲で協議するという、神々の民主主義政治のような言い伝えもあるみたいですね。

    >昭和陛下ご自身は軍人勅諭に「朕は汝ら軍人の頭首とある、頭首とはまさに機関のことではないか」

    おそらくですが、軍人勅諭の「機関」(キカン)という御言葉は、文の前後で推測するには、「機関」を念頭に置いた「器官」(キカン)のほうの御言葉なのかもしれませんね。

    《昭和天皇自身は機関説には賛成で、美濃部の排撃で学問の自由が侵害されることを憂いていた。昭和天皇は「国家を人体に例え、天皇は脳髄であり、機関という代わりに器官という文字を用いれば少しも差し支えないではないか」と本庄繁武官長に話し、真崎甚三郎教育総監にもその旨を伝えている[7]。》
    (参考、ウィキペディア「天皇機関説」)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%AA%AC

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