文在寅が「親日の清算」を掲げるなら、日本は「南朝鮮の清算」を

2回目の米朝首脳会談が、ベトナムのハノイで始まった。中間選挙の敗北を帳消しにし、大統領2選目への足掛かりをつかみたい米トランプと、一刻でも早く経済制裁を終わらせたい金正恩の思惑が一致すれば、会談は無理やりにでも「成功」という宣伝に使用されるだろう。恐らく政治ショーに終わるであろうこの会談で、具体的な北の非核化に道筋がつくとも思えず、内容の乏しい結果を見せられるだけだろうと思う。または、日本にとって必ずしも好ましくない結果が出てくる可能性もある。
少なくとも、北朝鮮が非核化の具体的措置をとれば「見返り」を与えることを検討する米国に対し、日本が同調の姿勢を示していないことが救いだ。毎日新聞の報道によれば、北に対するユニセフ等の人道支援に対しても、日本政府は「日本の拠出金を使うことは認めない」としているそうで、拉致被害者の帰国なくしての援助が日本国民の支持が得られるものではないことを、十分理解しての判断だろう。いずれにせよ、米朝会談に関する論評はもう少し詳細な報道を待ちたい。
米朝首脳会談が、もたらす内容とは別に成功と仕立てあげられれば、南朝鮮も盛り上がる。おりしも明日、南鮮は“なんちゃって独立運動”であるファンタジー「三・一運動」から100周年の節目となる日を迎える。自国賛美で国中が溢れるご時世だ。たった100年前のことすら正確に歴史を認識も総括もできず、ただただ日帝に侵略された被害者としてのストーリーを粉飾するために、彼らは様々なキャラクターを烈士として登場させる。その人物らは、いずれも独立運動に失敗した人物たちだ。安重根のようなテロリストも、その烈士に含まれる。
まさしく自己陶酔で知的感覚が麻痺した人々の所業だと思われるが、その陶酔の中で、文在寅は遂に禁句を言い放った。
「親日を清算し独立運動にしっかり礼を尽くすことが、民族の精気を正しく立て直し正義のある国に進む始まりだ」
この発言が出たのは閣議である。つまり、大統領としての方針を出し、政治的な方向性を定める指示である。青瓦台報道官はこの発言について「反日の具体的な措置を意図したわけではない」としたうえで、「民族の精神を正しく立て直すという意味だ」と説明している。だが、「親日の清算」と言う限り、この方針や政治的方向性によって日本が第三者にはなり得ないばかりか、むしろこの方針の標的になるという意味以外に捉えることは難しい。
「親日の清算」とはなにか。極端に言えば、南鮮国内の親日の思想や歴史を抹殺し、国是を反日という全体主義で固めようというのが狙いではないか。当然ながら、この「親日の清算」は、南鮮族の民族意識を高揚させ、それが反日運動へ発展することを期待したものだ。支那の場合は、中共の指示さえあれば、デモは起こり、またそのデモは暴徒化する。南鮮の場合は一応は民主主義国家であるから、政府主導の反日運動は現実的ではない。しかし、青瓦台は煽りさえすればよいのである。たまった不満や鬱憤を南鮮族が日本相手にぶちまけ、解消させることで、国はある程度は安定するのだ。
菅官房長官は、この「親日の清算」という発言を受け、会見で「親日」の意味を「戦前や戦中に日本に協力した関係者を批判する用語であり、日本語でいう「親日」とは意味が異なる」との解釈を示し、三・一運動がらみの動向を含めて注視していくと語った。しかし、その戦前や戦中の政治的対立について、いまの日本に責任を負えと言ってくるのが彼の国だ。彼らにとって時間軸など重要ではない。全てのことを含めて、日本が敵であればよいのである。
もう、北朝鮮と同化の一途を辿る南鮮も含め、朝鮮という単体を相手に物事を考えることが実質的だと思える状況になってきた。南鮮が親日を清算するなら、日本は南朝鮮という国家を、いったん清算してみればよい。間違いなく、彼らは友好国ではないのだ。三・一運動100周年というローカルな祭りが終わったら、元に戻るという幻想は捨てるべきだ。元に戻ったところで、彼らの反日は血肉化されているのである。
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