維新江田、「党名は公募で」 ~ 党名すら自分らで決められない骨のなさ

名は体を表すとは、人や物の名前は、それが持つ本質を上手に言い表している場合が多いという意味である。この場合の体とは、姿、形であり、人や物の実態、ひいては本質を指す。維新の党の江田憲司が、民主党と合流したなんちゃって新党の党名を公募すると言い出すものだから、呆れてしまう。
民主・維新合流の新党名 江田氏「公募で決める」 (ANN)
民主党と維新の党が結成する新党の名前について、民主党との協議を担当する維新の党の江田前代表は公募で選ぶ考えを示しました。
維新の党・江田前代表:「世論調査を行うとか公募を行うとか、国民参加型、国民の意見を拝聴しながら党名を決めていかなければならない」
江田氏はこのように述べて、世論調査で「民主」の文字を残すかどうかを判断したうえで党名の候補を国民から公募で選び、再び世論調査を行って決めるという考えを明らかにしました。そのうえで、「解党に匹敵する党名にすべき」と述べて、民主の文字を残さない全く新しいものが望ましいとの考えを示しました。ただ、民主党側には民主の文字を残すべきとの意見が強いことから協議は難航が予想されています。
政党名がその政党の本質を示すものだとするなら、そこには党としての理念や基本的立場を盛り込むべきだ。当然ながら、このなんちゃって新党の政党名は、合体した党の理念や立場を念頭に、主体的に決定し、国民に対して訴えなければならない。江田は、その意思決定まで他人任せにするという。
国民参加型ということばは聞こえは良いが、江田のこの策謀には恐らくふたつの理由がある。ひとつは、民主・維新間の調整がつけられないので、他人(国民)に決めてもらわないと着地しないということ。もうひとつは、国民の「民主党」という党名への忌避感を客観的に証明し、「民主」ということばを党名から“他力本願”で排除しおようとするものだ。
いずれにせよ、政党名すら自分らで決定できない政党には、基本政策や理念、綱領などを“主体的”にとりまとめたり決定したりできないという、ひとつの証明ではないかと思う。政党名すら他人に決めてもらわなければ前に進まない政党など、政策とその実現能力以前の問題だ。そんな政党に期待しろというほうが無理な要求だ。
私なら、このなんちゃって新党には「解党」という党名を提案したい。
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