「法案絶対反対」「安倍は辞めろ」の准教授、幼稚な反論文で笑いを誘う

馬鹿に付ける薬はないというけれど、本当につける薬がない馬鹿とは、福岡教育大の授業のなかで「法案絶対反対」「安倍は辞めろ」と学生に復唱させ、デモへの参加を呼びかけた林嵜和彦(報道名、林崎和彦)准教授(ただし懲戒処分中)のことだろう。ネット上では一躍時の人となった林嵜准教授。大学に課された懲戒処分や、自身に向けられたネット上の批判がよほど気に食わなかったのか、1万字にならんとする反論文を掲載した。
長すぎてとても引用しきれないので、面白い(笑)部分だけを抜粋してみよう。
「安倍はやめろ」「学長やめろ」で停職3ヶ月
となった件についての当人の見解2015年11月27日 ハヤシザキカズヒコ
2.不当な懲戒であり、政治的な弾圧。
本懲戒は、あきらかに不当です。
この懲戒では、わたしの正当な教授行為について、「政治的活動」をおこなったとして、職員就業規則(注1)の「本学内で,許可なく政治的活動,宗教的活動等の業務外活動を行わないこと」(職員就業規則第32条第9号)に反するとしています。
しかし、わたしの発言・行為は政治活動とよべるものではなく、簡単にいえば、講義の一部に安保法案を批判する内容、および、学長への大学経営の批判をふくめただけのものです。この処分は、学問・思想・良心・言論・表現の自由に対する政治的な弾圧であって、いわば憲法違反です。
3. 安保法案を批判することが、政治的活動とできるか。
理由の第一は、政治的な活動の意味を拡大解釈し、わたしの行為に適応していることです。そもそも「活動」とは、長期間にわたる持続的なものをよびます。しかし、処分事由説明書では3つの授業をとりあげ、おのおのの学生たちに対して、たった一度だけおこなった「行為と発言」に対して、それを「政治的活動」と称しています。
しかし、いうまでもなく、デモは、民主社会における政治表現のひとつの正当な方法です。
わたしはデモの日時を紹介して、「法案に反対の人はデモにいくべきだ」とのべて、参加をうながしただけです。デモに参加することを学生に強要したわけではないし、単位の要件としたわけでもありません。学生に安保法案に賛成であるか、反対であるかもたずねていません。安保法案に賛成の学生に、かんがえ方をあらためるよう、さとすこともしていません。
たしかに、大学内で安保反対のデモをしたとしたら、政治活動だとよぶことができるかもしれません。しかし、学外のデモを紹介することまで政治活動とよぶのは、拡大解釈にすぎます。
まして、憲法違反とされる法案に反対するのは、国民の義務です。日本国憲法12条には、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」とあります。若者たちがおこなう安保法案に反対するデモは、この憲法をまもろうという「不断の努力」にあたります。そのデモを紹介し、参加をうながしたことは、「行動力の育成」を目標とする人権教育(注2)の授業としてふさわしいものとして、むしろ評価されるべきものです。
それを「政治活動などの」「業務外活動」として懲戒するのは、憲法をまもろうとするうごきや、教員たちの発言・行動にたいするたんなる政治的な弾圧です。このような懲戒が正当なものだとすると、大学の教員はあらゆる政策批判ができなくなってしまいます。(中略)
たしかになかには、「そのギャグはやりすぎだ」という人もいます。また、自分はそういう授業はしないという人もいます。しかし、毒のあるギャグを得意とする漫才師がいるように、わたしの授業の芸風はそういうものなのです。毒のあるわらいがわたしの授業のモチアジです。そうしたギャグでの風刺をふくめて、「表現の自由」だとわたしは主張します。
ちなみに、わたしは「デモの練習」といったことはありません。わたしがいったのは「コールの練習」であり、このコールはラップなのであって、古くさい「シュプレヒコール」でもありません。(以下、面倒くさいので略)
暇で物好きな方には、ぜひ全文をお読みいただきたい。もっと笑える部分がある。引用しきれなくて勿体ないくらいだ。
要は、「安保法案に反対するデモを紹介し、学生たちに参加を促した俺様を、素晴らしい人権教育を行ったとして評価せよ」ということだ。こともあろうに自分の授業を芸人の芸風になぞらえ、「俺様の授業スタイルだ、文句あるか」と言っている。「毒のあるわらいがわたしの授業モチアジ」(毒のある笑いが持ち味」・・・。漢字が書けないのか?)とするくだりなど、まともに読んでいられない。どうやって准教授の職にありついたのかわからないが、この人物の文章から知性というものが全く感じられない。
7.ツイートの炎上による苦情や抗議はだれの責任か?
第五に、処分事由説明書には、学生のツイッターでのツイートにより、「ネット炎上」が発生し、おおくの抗議や苦情の電話が大学に殺到し、大学の業務に支障が生じたことが、わたしの責任にされています。
しかし、これらは当然、わたしが責任をおうべきことではありません。
わたしの授業は、授業料を納入して、科目登録をした受講者にのみ公開されているものであって、そもそもインターネット上の公開を前提としていません。また、授業中の写真は遅刻してきた学生に、盗撮されたものであって、授業の写真をインターネット上に公開することは、「公開範囲の推定」に誤謬があるプライバシー権・肖像権の侵害です。小学校の子どもが保護者に、学校であったことをはなすのとはわけがちがいます。
そのような違法な権利侵害の行為によっておこった「ネット炎上」について、わたしが責任をおうのは、判断の合理性を欠いています。(以下、面倒くさいので略)
例えば、盗みを犯したとしよう。盗みの現場を誰かに目撃されて通報され、結果として逮捕されたら、その逮捕は不当だということができるだろうか。林嵜氏の論に沿えば、逮捕は目撃者のせいになり、盗み自体が問題ではないということになる。このような幼稚な弁明に耳を傾ける人はいないだろう。書けば書くほど、墓穴を掘っているとしか言いようがない。
そもそも林嵜は、デモのコールを学生に復唱させたことを「ギャグ」と言っているのだが、処分に不服を申し立てることによってその「ギャグ」は自分の政治信条だと吐露している。その矛盾に、自分自身が気づいていないほど、重症なのだろう。林嵜は、名誉回復のため、最後まで闘うと宣言している。法廷だけでなく、労働委員会まで動員するということだ。せいぜい頑張って、その名誉とやらの回復を目指すがよい。ただ、林嵜を雇う学校が今後出てくるかどうかは、甚だ疑問だ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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