サヨクが自衛官の身の安全を慮るという“偽善”

政治家やマスメディアら言論機関は、その職業柄、見解にある程度の一貫性を求められるものだ。政治家がコロコロと言うことを変えれば風見鶏扱いされ、信用されない。選挙で訴えたことは、有権者との約束であるから、簡単には反故にできないのだ。数年前、これで自爆した民主党という政党があったが、それ以来、彼等は何も学習していない。
民主党は今国家において、安保法制に十分な議論を求めていたはずだ。ところが、政権側が95日間という、戦後最長の会期延長を決めた途端、国会を閉じろと言いだした。言っていることが真逆なのだ。よくもこのような変わり身を臆面なくできるなあと思うのだが、彼等がこれほどいとも簡単に方向転換できるのは、政権への抵抗こそが目的化しているからだと思われる。
この安保法制の議論において、しばしば自衛官の安全が、左派メディアや野党から指摘されている。勿論、自衛官を守るための法整備は必要なのだが、言っているのが、野党や、今まで自衛隊そのものを苛めぬいてきた左派メディアだから、「一体どの口で言う?」と呆れてしまうのだ。
朝日新聞を例に取ってみよう。このふたつは、同じ朝日新聞の見出しだ。
- 裁判官 世間へ飛び出す 新聞社で中堅研修(1982年9月15日)
- 自衛官、新聞社で記者実習 プレスの独立どうなる(1993年9月14日)
これは、井沢元彦氏の著書「虚報の構造オオカミ少年の系譜―朝日ジャーナリズムに異議あり」に書かれたものだが、公務員の新聞記者体験という点では同じなはずなのに、何故か自衛官の実習だけが否定的にタイトルを付けられている。裁判官ならよいのに、自衛官の場合はダメというのは、明らかに自衛官に対する差別なのだ。朝日以外でも、中日新聞が、人命救助をした自衛官をわざわざ「会社員」と書き替えたこともある。左派メディアにとって、差別の対象である自衛官に“栄誉”など不要なのだ。戦後、朝日をはじめとする左派メディアは、こういう差別記事を垂れ流し続けてきたのである。
そんな、自衛官への差別を社是としてきたような新聞に、「自衛官の安全はどうなるのか」と今さら言われても、朝日らの過去を知る者としてはまともに聞く気がしない。
これと同じ構図が、政治にも当てはまる。辻元清美が、自衛官の身の安全を慮るような質疑をしているのを聞くと、蕁麻疹が出そうになる。共産党、民主党、社民党なども然りだ。彼等の場合、自衛官に身の安全など、政権に抗う道具に過ぎない。政権を揺さぶれるなら、自分たち信条的に否定してきた自衛官すら利用する。官邸や国会前でデモをするサヨクもこれらと同質であることは、改めて書くまでもない。
もはや「ご都合主義」ということばひとつでは片付けられない。政治やジャーナリズムには、こういう「あからさまな偽善」がまかり通っているのだ。
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