青瓦台にとって究極の政治目的とは、天皇陛下による謝罪発言だ

今日は仕事で桜が咲く場所をいくつか回ったのだが、桜というのは日本人の心を癒すものだなと、つくづく思う。4年前の震災後、個人的に大好きなジャズ・ピアニストが、苦難に遭った日本人に「さくら さくら」捧げてくれたのだけれど、ささくれ立った心にその旋律が刺さった。この季節、お花見スポットに行くと、本当に幅広い年代の男女が桜の下に集っている。桜の花が綺麗なのは勿論なのだけれど、その集いはただ美しいものに惹かれるだけのものでなく、もっとスピリチュアルな動機が働いているように感ずる。
ただ、桜や花見というと、良い話だけでは終わらず、気分を害するような事柄も人々の耳目を集める。今朝のテレビでは、花見客が放置したゴミの山が批判されていた。公共の場所を汚すのは、日本人として恥ずべきだ。そして、更に気分を害するのは、お隣の盗人国がソメイヨシノも花見も南鮮起源であるという、日本人には侮辱的なウリジナルだ。彼の民族がソメイヨシノの原産地と主張する済州島では、朝鮮語、英語、支那語、そして日本語で、「ソメイヨシノの自生地」と表示した看板が建てられ、米ワシントンの名物となったポトマック川の桜のルーツを韓国であると主張し、公文書を書き替えろという運動まで起きているという。
我々日本人は、子どもの時分から「嘘つきは泥棒のはじまり」と教えられ、嘘つきや泥棒は、道徳的に最も恥ずべき行為だと叩き込まれる。しかも、泥棒が恥ずべき行為だというのは、仮に生きるための窃盗が横行する国や地域であっても、建前の上では共有できる価値観だろう。私には在日の友人はいるが、ネイティブ・コリアンの友人はいないので、彼の地でどのような家庭教育が施されているかは分からない。だけど、もし彼の民族が同じような価値観を共有するのだとしたら、ウリジナルのようなことは起こりようがないのだ。
南鮮は日本にとって兄の国と言って話題になったのは、朝日新聞の木村前社長である。昨今、南鮮への見方として「兄の国」という認識は一般的ではない。ただ、海の向こうでは、それがさも当然のように語られているという。だから、弟に併合された歴史は彼等に取って屈辱であり、弟に受けた施しは「援助」ではなく「賠償」だという解釈で捻じ曲げる。慰安婦という物語は、弟分を平伏させるために創作されたものだが、これが歴史として定着してしまうのだから恐ろしい。その信仰ともいえる思想は、日本の皇室にまで要求を突きつけるという事態にまで発展するのだ。
全斗煥と昭和大帝
聯合ニュース等の南鮮メディアの報道によれば、1984年に国賓として来日した全斗煥が、日本の朝鮮半島統治などについて昭和天皇が反省を示すよう、事前に求めていたという。産経の記事を引用する。
韓国元大統領「昭和天皇」に遺憾と反省求める…“植民地支配”「最大限強い言葉で反省を」 韓国外交文書で発覚 (産経新聞)
【ソウル=名村隆寛】1984年9月に韓国の全(チョン)斗(ド)煥(ファン)大統領(当時)が国賓として初訪日した際、韓国政府が日本側に対し、昭和天皇が日本の朝鮮半島統治などについて反省を示すよう事前に求めていたことが30日、分かった。韓国外務省が同日公開した当時の外交文書の内容として、聯合ニュースなどが報じた。
韓国政府は84年初めに全氏の訪日を計画。昭和天皇の反省表明が訪日の「大前提」だと規定したという。
反省については「(韓国の)国民感情を考慮し、最大限強い言葉で反省を確かに示さなければ、訪日への納得が得られない」とし、公式に「過去の不幸な歴史を認め、遺憾表明と深い反省を示すよう」求めた。一方で、昭和天皇の発言が「過去を完全に清算するものではない」とし、日本側に具体的な行動も求めた。
韓国側は当時、昭和天皇の歴史への言及について日本側は「不可避」との立場だと分析。しかし、発言内容は外交の対象でないとし交渉はしなかったという。
昭和天皇は84年9月6日、全氏が出席した宮中晩さん会で「今世紀の一時期において両国の間に不幸な過去が存在したことはまことに遺憾であり、繰り返されてはならない」と述べた。
全斗煥が誕生したのは、日本が朝鮮を統治していた1931年だから、日本人にとって天皇とががどのような存在であるか知らない筈がない。それ以前に、1984年といえば、南鮮でも日本統治世代がまだ存命の時代だから、常識中の常識だっただろう。天皇陛下に「こう仰ってください」などと言える立場の人間は日本には一人もいないので、青瓦台の要求は、どう考えても無理筋である。無理筋だとわかっていて要求するところが、彼らの度し難い部分だ。
この報道を読んで思い出したのが、月山明博こと李明博の「天皇謝罪要求発言」だ。日本と南鮮の関係を最悪の状態と言われるまでに落としたのが李の発言だが、李のメンタリティは、全斗煥のそれとほぼ同質であるように思う。南鮮にとって、「日王の謝罪」は究極の政治目的であり、彼等が信仰する創作の歴史を史実に変換し、かつ完全に固定化するものになる。天皇の謝罪が、時の総理大臣の謝罪と比較できるようなレベルでないほどの重さを持つことを、彼等は十分理解しているのだ。
全斗煥の天皇謝罪要求から李明博の天皇謝罪要求まで28年。南朝鮮という国は、その究極の政治目的を頑なに守り続けている。彼等がこの野望を捨てることは、恐らく今後もないだろう。彼等との友好が日本のためにならないことを、全斗煥と李明博、そして告げ口外交の朴槿恵が具体的に示しているのだ。
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