保守を標榜する前に読んでおくべき、良質な2冊

先週末に故郷に帰ったのだが、滞在中は飲んで喰って寝てという生活しかしなかった割に、往復の道中は中身が濃く、2冊の非常に良質な本を読んだ。
ひとつは、「保守の原点――「保守」が日本を救う」。 宮崎正弘氏と小川榮太郎氏の対談本である。私は常々、自分を保守的とか保守派と言っているけれども、「我こそは保守だ」という表明はしない、ということを書いている。世の中には「我こそは保守」と標榜する人々が相当数いるようだが、そんな大それたことを宣言できるほど、自分は成熟していない。保守本流の思想がまだ自分の中で血肉化していないことを、自分なりに分かっているつもりだ。
そういう中途半端さを自覚している自分にとって、、「保守の原点――「保守」が日本を救う」は決定打であった。この中には、保守たり得る者が携えているべきエッセンスが凝縮している。保守とは、思想や歴史観だけでなく、国語そのものであったり文学であったり、フランス革命や西洋思想との違いの上での日本であったりと、広範な知識の基礎の上に成り立つものだということである。私はまだまだ保守を標榜するまでに至っていないと再認識した。もっとも、こういう知的生産としての保守を求められると、ちょっと敷居が高いという気もしないではないが。
もう一冊は、福田恒存の4つの講演を纏めた、「人間の生き方、ものの考え方 学生たちへの特別講義」である。昭和三七年から昭和五五年かけて、福田が学生相手に行った講演を書き起こしたものだ。“講演を収録”といっても、本質的には哲学書である。これはもう、目から鱗の連続で、あっという間に読了。
福田恒存
例えば、1月末に日本中を騒がせたISILの人質事件。福田は昭和五十年の講演で、実に本質的で明快な答えを提供している。ISの事件で何度も引き合いに出された、ダッカ事件への対応に関する言及である。
今の世の中では人命尊重ということから、殺人が一番悪い犯罪になっていますが、私は人質犯罪は、殺人以上に凶悪な犯罪であると思うのです。つまり人の弱みにつけこんで、人質をとってお前がいうことを聞かなければこいつを殺すぞという、これくらい悪い犯罪はない。もしかれらの要求をいれて人質の命を助けるために、明らかに犯罪者として逮捕している人間を釈放するということになれば、国家、政府の権力がかれらよりも弱いということを立証することになるのです。これができればどんな犯罪でもできる。こうして日本の国家全体を否定するようなことを要求しても、人質を持ってさえいればできるのだという観念を人々に植えつけてしまう。これは実に大きな問題だと思うのです。五十人の命を助けるために、一億人の人間を危険に陥れる可能性を与える。そんな場合には、一億人に比べれば五十人なんかたかがしれているのだから殺してしまえばいい、というのが私の考え方です。
福田は、講演で話すだけでなく、産経新聞に同じ趣旨の文章を寄せたそうだ。残念ながら、その当時の反応はわからないが、なかなか刺激的な解である。
福田が拘り続けたのは、「歴史」「自然」「言葉」という3つのキーワード。書籍は4つの異なる講演を網羅しているのだが、これらのキーワードは、18年に渡る講演のなかで度々登場する。なかでも、「歴史」に対する考え方に関しては、保守の核心を見るような気がする。
歴史は既に存在してしまったものです。われわれが、歴史に対してこういう風であってもらいたい、こういう風に直したいと思っても、もうとり返しがつかない。ところが、日本の歴史は既に存在しているということを、今の歴史家たちはどうやら忘れている。つまり歴史は親みたいなもので、私達は日本の歴史の子供なのであります。その子供の立場から過去の歴史を裁いていこうというものの考え方が既にまちがっている。歴史をして私達に仕えしめてはならない。私達が歴史に仕えなければならないのです。ところが、今の歴史学者はすべて歴史を私達に、すなわち現代に都合のいいように仕えさせるというようなことをやっているわけです。
これは恐らく、歴史を戦前と戦後で分断するというGHQの狙いをそのまま受け入れ、戦後になってから戦前における悪をひたすら糾弾する歴史学者を批判したものだと思われる。福田はその「歴史の分断」を批判し、親と子に例えることによって、歴史の連続性を訴え、歴史なしに我々は存在し得ないということを言っている。
我々の隣には、「子供の立場から過去の歴史を裁いていこうというものの考え方」をする国がふたつほどある。しかもそれらの国にとっての歴史とは「創作可能」なものであり、「現代に都合のいいように仕えさせる」ために、それを捏造しするのである。もちろん、我が国の中にも、そういう過去の歴史をこねくり回してイデオロギーを振りかざす輩が数多く存在する。その代表格が朝日新聞になるわけだが、イデオロギーに毒された彼等には、この珠玉の言葉はもはや響かないだろうと思われる。
ネトウヨというのはとかく情報をネットだけに頼り、本を読まない、とよく聴く。別に上から目線でもの申すつもりは更々ないが、たまにはこういう、時代を経ても色褪せない言論に身を委ねてみるのも良いのではないだろうか。
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