戦後70年談話における「侵略と植民地支配」引用を「空気」で支配しようとするマスメディア

戦後70年談話に関する報道がかまびすしい。安倍総理の私的諮問機関であり、戦後70年の首相談話に盛り込む内容を議論する有識者懇談会「二十一世紀構想懇談会」の初会合が25日に開かれたことを受け、各紙は一斉に社説で持論を展開している。焦点はただ一つ、村山談話の踏襲と、植民地支配・侵略といったキーワードの扱いだ。
「二十一世紀構想懇談会」初会合
朝日新聞 (26日社説)
(村山談話を)全体として引き継ぐと掲げながら、植民地支配や侵略といったキーワードを村山談話もろとも棚上げにしてしまうのが新談話の目的ならば、出すべきではない。そうした意図があればすぐに見透かされ、「過去に目を閉ざす者」と世界に受けとられるのが落ちであろう。
毎日新聞(27日社説)
もしも、村山談話の核心的な表現を薄めるために、20世紀の教訓が語られるとしたら、70年談話は日本の国際的な立場を強めるどころか、無用な反発を招き寄せてしまう。
中日・東京新聞(27日社説)
植民地支配と侵略への反省とお詫びは、外交の基盤となってきた歴史認識の根幹だ。全体として引き継ぐと言いながら、核心部分を変えることがあってはならない。
日本と日本人の矜持などどうでもよく、ただひたすら支那や朝鮮の歴史観に隷属しつつ、偽善の友好をはかれと主張する左派新聞の論説は、どこを切り取っても金太郎飴のように同じだ。朝日など、別の記事で「有識者の議論が実際にどこまで反映されるかは見通せない面もある」と批判的な態度を示しているが、有識者会議が談話の内容を決めることなどあり得ず、最後は総理の判断なのだから、当たり前である。こういう一面的な世論誘導には要注意である。
ちなみに、産経は「その表現(「侵略」や「植民地支配」)にこだわりすぎれば、中韓の歴史戦、宣伝戦にからめとられかねない」と、キーワードの使用に警戒感を示しているが、読売は「戦後70年の今年、中国は反日宣伝を本格化させており、首相談話も歴史をめぐる宣伝戦に組み込まれようとしている。そうした国際情勢も踏まえ、冷静で戦略的な対応が安倍首相には求められる」と、踏み込みはかなり甘い。
朝日や毎日などの論調は、何も新聞業界に限ったことではなく、テレビや雑誌など、メディア全般に幅広く浸透している。村山談話、河野談話は、彼等が死守しなければならないと考える防衛ラインだ。安倍政権は慰安婦問題の検証を通し、朝日新聞を訂正と謝罪にまで追い込んだ。その同じ轍を踏むまじと決意したから、「植民地支配と侵略は必ず盛り込め」と、血相変えて主張するのだろう。
朝日や毎日などをはじめとする左派系メディアが狙うのは、「空気の支配」だろう。山本七平は、著書「「空気」の研究 」で、「善という把握ともう一方へのその対極である悪という把握がともに絶対化されれば、両極への把握の絶対化によって逆に自己を二方向から規定され、それによって完全に支配されて、身動きができなくなる」と書いている。そして山本はこう続ける。
双方を「善悪という対立概念」で把握せずに、一方を善、一方を悪、と規定すれば、その規定によって自己が拘束され、身動きできなくなる。さらに、マスコミ等でこの規定を拡大して全員を拘束すれば、それは、支配と同じ結果になる。すなわち完全なる空気の支配になってしまうのである。
左派系メディアは、村山談話を善とし、それを蔑ろにしようとする安倍総理を悪と規定することによって、論陣を張っている。彼等は、情緒論を織り交ぜながら、「和」を尊重する日本人の特性に訴えかければ、それが「空気」として醸成され、ある程度の効果を得られることを、経験値として持っているのだろう。
安倍談話が、村山談話の「侵略と植民地支配」をそのまま盛り込めば、安倍政権が支持層の支持を失うだけでは終わらず、日本外交が中韓の歴史観に拘束される時代が、今後長きに渡って続くことになる。左派系メディアが根底に据える「善悪の定義」に惑わされずに、自分の頭で考えることが、今の日本人には必要だ。
山本七平
「空気」の研究 (文春文庫)
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