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    原爆を正当化する米国のプロパガンダを、日本人が鵜呑みにする必要はない

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    「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」

     これは、広島の原爆死没者慰霊碑に刻まれた一文である。ラダ・ビノード・パール氏が、「日本人が日本人に謝罪している」と解釈し非難した碑文だが、パール博士の指摘以前に、この文には主語が無く、いったい誰が誰に語りかけているものかという議論を呼んだのは有名な話だ。

    「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

     パール博士の批判に対し、この碑文を起草した雑賀忠義広島大教授は、このように抗議している。

     広島市民であるとともに世界市民であるわれわれが過ちを繰り返さないと霊前に誓う ―― これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである。“広島市民が過ちを繰り返さぬといっても外国人から落とされた爆弾ではないか。だから繰り返さぬではなく繰り返させぬであり、広島市民の過ちではない”とは世界市民に通じないことばだ。そんなせせこましい立場に立つ時は過ちを繰り返さぬことは不可能になり霊前でものをいう資格はない。


     雑賀教授の思想にいかなる背景があったのかは不明だが、世界市民という、戦後の左翼が頻繁に使用するフレーズが入っていることで、想像は可能だ。つまり、ことばの主体を日本人ではなく、世界市民に置くことによって、「日本が悪いことをしたから戦争で原爆を落とされた」という東京裁判史観を丸呑みしたということだ。

     この碑文に対して疑問を投げかけたのは、パール博士だけではない。1993年、マレーシアのシャフシェー元外務大臣が来日した時のことを、このように語っている。

     以前、広島を訪れた時、小学校の先生が原爆慰霊碑の前で子供たちに「日本は昔悪いことをしました。これはその記念碑だ」と教えていたのを見ました。それで広島市長に「原爆慰霊碑と原爆資料館は日本人が見るべきではありません。ワシントンに持って行き、アメリカ人にも見せて、アメリカ人に反省させるべきではないでしょうか。原爆資料館がここにあるのは不適切だと思います」と言ったところ、広島市長たちは真っ青になってしまったが、やがて彼らも私の意見に賛同してくれました。
     それにしても日本人はなぜアメリカに対して異様なほどおびえているのか。敗戦国心理から早く脱却すべきではないでだろうか。


     原爆を被爆国日本として評価すること自体が「せせこまし」く、他のアジアの国には「おびえている」ように映る日本人は、「米国の脅威になり得る日本の芽を摘む」というGHQの占領政策を忠実に守る民族の矜持を失った姿をしていたのだろう。

     原爆に対する歴史認識は、加害国と被害国では正反対だ。何度か指摘してきたが、米国における一般的な歴史認識とは、「原爆によって、戦争が続いた場合に生じたであろう数多の米国人および日本人の命が救われた」というものだ。よくもこんな偽善的な認識で国民を統一できるものだと不思議になるが、このような洗脳がいまだに効いているのは、米国人でさえも、強力なプロパガンダには抗しえないということを意味している。

     諜報に秀でていた米国が、日本がロシアを通じて戦争終結を模索していたことを知らなかったわけがない。実際、米国における戦後の研究において、日本が原爆投下以前に降伏を準備していたことが、数々の証言によって明らかになっている。

     原爆孤児に対する熱心な支援を評価され、広島市特別名誉市民となり、平和記念公園に自身の名で記念碑が建立されたノーマン・カズンズは、こう語っている。

     海軍のスポークスマンによると、日本は広島に原爆が投下される前に降伏の用意があったという。となると、何千何万という数えきれないほどのアメリカ人の命が救われたという主張は、どうなってしまうのだろう。


     このカズンズの発言などが米国の政府関係者の神経を逆撫でした。その後、米国政府によって、原爆投下を正当化するための工作が行われ、トルーマン大統領も「二十万の我が国の若者の命を救い、敵側の三、四十万の命を救うことができると判断したから投下の決断をしたのだ」という発言を繰り返すこととなる。

     ところが、米国政府のプロパガンダは、内部から再び批判されることになる。

    ウイリアム・リーヒ海軍大将 ~ 大統領首席補佐官としてルーズベルト、トルーマンに仕えた大物

     私の意見では、広島と長崎に対してこの残忍な兵器を使用したことは対日戦争で何の重要な助けにもならなかった。日本はすでに打ちのめされており、降伏寸前だった。
     あれを最初に使うことによって、われわれは暗黒時代の野蛮人並みの倫理基準を選んだことになると感じた。あのように戦争を遂行するようには教えられなかったし、女、子供を殺すようでは戦争に勝利したとは言えない。


    ドワイト・アイゼンハワー連合軍最高司令官(WW2当時) ~ 後の米国大統領

     彼(スティムソン陸軍長官)が関連の事実を述べるのを聞いているうちに、自分が憂鬱な気分になっていくのがわかって、大きな不安を口にした。まず、日本の敗戦は濃厚で、原爆の使用はまったく不必要だという信念を持っていた。第二に、アメリカ人の命を救うために、もはや不可欠ではなくなっていた兵器を使用することによって世界の世論に波紋を広げることは避けるべきだと考えていた。日本はまさにあの時期に「面目」を極力つぶさない形で降伏しようとしていると、私は信じていた。


     米国にも様々な意見がある。だが、米国の統一された歴史認識は、戦後ずっと「原爆によって多くの命が救われた」という無理筋な正当化であって、米国政府もメディアも、必要以上の深入りを避けている。Webを確認する限り、New York Timesは、8月6日をほとんど報じていないし、Washington Postも、写真を掲載して、AP通信の配信を転載するだけで、論評は避けている。

     何故このような理不尽な歴史認識がまかり通るのかといえば、それは日本が抗議しないからだ。何も米国と対立せよとは言わない。戦後ずっと、事実上の米国の保護国であったため、政治的には言いたいことも言えない立場にあったことも事実だ。しかし、被害者である日本が、「過ちは 繰返しませぬから」と言っているようでは、米国のプロパガンダはびくともしない。「日本が悪い事をしたから原爆はしょうがない」という、日教組が仕立てた歴史の解釈がある限り、日本の自立や、主張する外交が確立されることはない。

     東京裁判におけるブレイクニー弁護人の弁論を噛みしめながら、広島、長崎で亡くなった方々の冥福をお祈りします。

     キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前も承知している。彼らは、殺人罪を意識していたか?してはいまい。我々もそう思う。それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。何の罪科でいかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか。原爆を投下した者がいる。この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認したものがいる。その者達が裁いているのだ。彼らも殺人者ではないか





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    18 Comments

    はな

    米の正義なんてw
    日本を実験場にしただけです。
    広島、長崎、そして日本全国の空襲をうけて亡くなった方。安らかにお眠り下さい。

    • 2014/08/09 (Sat) 14:58
    • REPLY

    こはる

    No title

    戦中は翼賛体制の渦中でそれぞれの立場に於いて活躍し、敗戦後は口を拭って姿勢一変、という人達は少なくなかったそうです。
    この雑貨教授が戦中如何なる立場にあった人なのか分かりませんが、仮に反戦を唱え獄中にあったとしても、それでも「霊前でものをいう資格」を他人に問える人はこの世の中に一人も居ないだろうと思います。

    この碑文が、誰の為の物なのか?ではないでしょうか。
    不特定多数の原爆犠牲者に向けた鎮魂慰霊であれば、何よりもその犠牲者に心を寄せる文章であった筈。

    一日本人としては、この碑文の後に「by USA」とでも入れたい思いです。

    今日は長崎の日ですね・・・・・合掌

    • 2014/08/09 (Sat) 15:36
    • REPLY

    レッドバロン

    復讐するは我にあり。

    三島由紀夫氏は 生前にあの広島の慰霊碑がある限り、日本はたちなおらないと語っておりましたが、いかにも。

    管理人様がご指摘の通り、米海軍は日本にはすでに継戦能力なしとして、海上封鎖だけで日本を降伏に追い込めると、原爆の投下に反対しておりました。

    ホワイトハウスはじめ、当局者がただ落としたいから落とした、原爆攻撃には他に明確な理由はありません。


    映画「ローマ帝国の滅亡」のラシトシーンで、ローマ人に焼き殺されるゲルマン人達の捕虜が口々に叫ぶ「復讐を!ローマ人に血の復讐を!」という言葉が子供の私には余りに衝撃的でした。


    静かな祈りよりも、残念ながら私にはあのゲルマン人の血の叫びの方が、広島・長崎の惨禍の跡地には相応しいと思われます。

    今日は、様々な理由はあるにしても、或いはせいぜい綺麗事を語って、原爆被害者の仇も討てない日本人の一人である我が身を恥じ入る。そのような1日にしたいと思っております?

    • 2014/08/09 (Sat) 15:59
    • REPLY

    ST

    No title

     「無念は決して忘れません」・・・かなぁ・・・。

     碑文を書き換えるとすればどんな言葉がいいかな?とつらつら考えていたら、決定版を出されてしまいました。
     「by USA」。
     参りました、Good Jobです。

    • 2014/08/09 (Sat) 17:16
    • REPLY

    末田

    過ちを繰り返さぬために

    「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」

    「これ、誰が誰に対して書いたの? 間違った戦争、つまり負けるような戦争はしない、との意味で書いているなら許せるけど・・」
    憂国の壮士、小野田寛朗さんの言葉だそうです。

    最も安価で効果的な防衛兵器であることから、核武装する国家は増え続けています。 ゴキブリ国家南朝鮮ですら「天皇、安倍、石原は(植民地の償い?)謝罪と賠償を行え! さもなくば我々は北朝鮮に核攻撃を要請する」、と喚く今日この頃です。  (サーチナ 安倍政権成立時)

    中距離の核ミサイル50発程度を揃える費用は五千億ぐらいだろう(*)とのことです。 「戦わざるも亡国・・」とならぬよう早急に核兵器を配備するべきと思っています。 国家に殉じられた英霊と未来を生きる人々のためにも。

    (*「自主防衛を急げ」伊藤・日下共著)

    素浪人

    我が国の過ちは…

    我が国にも明治維新以来、勿論過ちは有ります。例えば日英同盟の事実上の破棄~海軍軍縮・桂-ハリマン協定処理問題などなど、歴史の節目節目で『失策』とみなされても仕方のない問題は有りました。

    しかし、これれは飽く迄我が国の『歴史的な失策』であって、道義的な問題ではありません。しかも大東亜戦争全体で言えば、上記の歴史を受けての成り行き的な結果に過ぎず、『歴史的な失策』とは決して言えません。我が先人達は決して大東亜戦争自体では『過ち』なぞ犯していません。犯しているのは明らかにメリケン等の連合国側であるのは明らかです。

    故に、広島の慰霊碑に刻まれた文言は明らかに不当であり不正であり、これにより過去から現在、将来に渡る日本国民が倫理的拘束を受けるものではなく、早急に撤去すべき憎むべき石塊に過ぎないのです。

    こはる

    失礼 訂正致します

    碑文起草者のお名前に失礼な間違いをしてしまいました。
    雑貨ではなく雑賀教授でした。申し訳御座いません。
    (決して揶揄した訳ではないのです。)

    • 2014/08/09 (Sat) 19:25
    • REPLY

    NP

    日本の異常地帯と自虐史観の典型例とは

    今、広島、長崎の原爆式典が続いて行われていて、この日本の特殊地帯の市長は全国ニュースで自虐史観を持ち出す。
    特に今年日本にとって必要な集団的自衛権を批判する文言を混ぜ式典で語る。

    広島ではあいかわらず
    「安らかにお眠り下さい。過ちは二度と繰り返しませんから」の自虐碑文をニュースで流す。

    これあきらかに「安らかにお眠り下さい。(日本は)過ちは二度と繰り返しませんから」
    だろう。

    狂った話でこれが「自虐史観」を代表する言葉だ。

    他の多くの地域が段々さよくの洗脳から目覚めている時代、この広島であるとか長崎という特殊な地帯は相変わらず思考の狂った地域のままだ。

    • 2014/08/09 (Sat) 19:42
    • REPLY

    Alinamin2011

    私はあの碑文はあれでよいと考えています

    かなりの長文ですが、どうかお赦しください。

    あの碑文に異論を唱える人は多い。あの碑文は、物議を醸す要素を多分に持ちます。私も疑問に感じていた時期があります。
    でも、現在はあの碑文自体には問題を感じません。それどころか、碑文として秀逸であるとすら思っています。

    理由は2つ
    (1)碑文が示すものは、残された人が亡くなった人への哀悼と、これを礎にした未来への想いを分かち合うべく、後世の人に語り掛ける力。未来への想いが復讐・補償獲得を意味しない限りにおいて、加害・被害という相対関係の正確性にこだわる必要はない。あの碑文の目的は、復讐・補償獲得ではない。
    (2)碑文は、もはや起草者の手を離れている。重要なのは、碑文自体が後世の人に語りかける力。起草者の人格・思想背景等は議論の材料になりうるが、碑文の良否を決定するものではない。

    以下各点について説明します。

    (1)
    パル博士が、この碑文に問うたことは、極めて正当なものと私は考えます。
    東京裁判の欺瞞性を誰より知る彼は、「あんなもの」を信じ自虐に染まってはならないと、日本人に説く責任を誰より強く感じていたと思います。あの碑文の「過ち」は、日本人の過ちだと考えてはならない、日本人は誇りを失うようなことはしていない。東京裁判は裁判の呈を為さない、復讐でしかないと認識してほしいと。
    また、法の支配を解きながら、彼の祖国インドを人種差別という法の支配とは相容れない観念に基づいて不当に支配し続けた英国、ひいては白人支配の歴史に対する法曹者としての怒り、それを打ち砕くために戦い、アジア諸国に多大なるエネルギーと誇りを与え、独立獲得に作用した日本の貢献は、彼の責任感にさらに拍車をかけていたと思います。
    彼は、あの碑文を使って、日本人の意識に語り掛けたのだと思います。
    ブログ主がおっしゃる「原爆を正当化するプロパガンダを日本人が鵜呑みにする必要はない」も、それを意味しておられると思います。私はそれに賛成です。

    しかし、あの碑文は、あくまで碑文で、記録ではない。
    30年ほど前に、あの碑文の右下隅に、誰かが、かまぼこ板大の石版を張り付けたという事件がありました。その石版には、横書きの表札のように「トルーマン」と刻まれていました。
    あの石版は、因果関係を補足をする意味では、正しい。真実の因果関係に基づけば「過ちを繰り返さない」との言を発するべき立場にあるのは、原爆を兵器として使用した米国であることは、疑いない。
    しかし、「碑文」として見たときに、あの石版が付加されることは、著しく不適切だと私は思います。
    当時の米国の責任者たるトルーマン大統領の言葉として「碑文」に刻むのだとすれば、犠牲者への哀悼というより、謝罪の意味合いになる。
    しかし、トルーマンは、ルーズベルトと並んで日本人・黄色人種を人間と思わぬ人種差別主義者であったことを考えれば、そのような思いを持つはずもなく、日本人・黄色人種の心を愚弄するものではあっても、弔うものでは決してない。
    もしも、彼や彼の後継者たる米国大統領にそれを言わせようと言う日本人の決意であるなら、それは、米国への復讐を誓う標語の意味になり、碑文に刻む言葉としては日本人の本来のメンタリティから著しくはずれたものだと思います。日本は、恨みを愛国の中心に置くことを是とする国ではない。
    碑文は、後世の人に語りかければよいのであって、記録である必要はない。

    (2)
    碑文を想起した雑賀本人の説明が「世界市民」という、民族・文化を無視する輩が好んで使う言葉が使われていることに懸念・嫌悪を感じるのは私も同じです。雑賀の説明の仕方は、学者が語るべき論理性を著しく欠いており、私は、全く与みできない。
    しかし、その説明や起草の背景は、碑文自体には書かれていないこともまた事実。
    あの碑の下には、犠牲者の名簿が毎年更新され、収納されています。多数の原爆犠牲者を弔う、代表の一文があの碑文です。「多数の犠牲者に贈る一篇の碑文として“選んだ”」時点で、それはもはや草稿した人の手を離れたものになっていると私は思います。
    否定の理由が草稿者の思想信条であるなら、それは草稿者を否定すればよいのであって、必ずしも碑文を否定する理由として、正当とは言えないと思います。
    仮に、同じ碑文の「説明」としてに使われた言葉が「世界市民」ではなく「人類」という言葉、あるいは「八紘一宇の念」という言葉だったと仮定してみる。そして、その言葉もまた碑文には書かれていなかったとする。そのとき、あの碑文を否定する理由でなくなるならば、その理由とは、もはや碑文の良否を判定する材料とは言えないと思います。
    「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」は、気持ちとしては理解できるが、正当性があるわけではないと思うのです。
    結局、糾弾されるべきは、あの碑文自体ではなく、あの碑文を使って東京裁判史観のプロパガンダに使おうとする行為だと思うのです。
    そのような真実を捻じ曲げようとする輩が居るからこそ、あの碑文は物議を醸しているのだと私は見ます。
    結果論ではありますが、碑文の目的である「後世の人々に語りかける力」という意味では、あの碑文は秀逸であるとすら考えます。

    閉鎖され、焚書され、消された真実の歴史を、苦労して探し出し学ぶ者からすると「油断すれば、また東京裁判史観を支持する連中が席巻する契機にされかねない」という危機感が、あの碑文を忌むべきものと考えさせる気持ちは非常に理解できます。
    しかし、その危機感を持たせるからこそ、間違った史観を持つ者を浮き立たせ、啓蒙につなげていく機会を与えると思います。

    だから、あの碑文は碑文としてあれでよいのだと、私は思うに至っています。

    長文、失礼しました。

    • 2014/08/09 (Sat) 19:54
    • REPLY

    (名前空欄)

    悪いことなんてしてません。命かけて国を守っただけです。
    核なら当時の日本も開発済でした。
    核に核で応戦することを昭和天皇が後世に申し訳ないと許可しなかっただけです。アメリカの核は正しい判断とのドヤ顔。民度の違いですかね。また、負けそうになったらなんの迷いもなく核つかうんでしょうね。

    torisima

    No title

    広島、長崎、原爆投下、直ぐに思い出すのがフォン ノイマンと言うユダヤ人科学者です。現在のコンピューターの基礎を作った人ですが、原爆の重要爆発原理と、高度500メートルで原爆を爆発させれば最大の効果が上がる事を10ヶ月も掛け、計算した戦犯です。

    それらの事も、原爆で亡くなられた人の意思も希望も風化
    させる様な空虚な碑文、「安らかにお眠り下さい。過ちは二度と繰り返しませんから」と、そして、雑賀教授が本当はどのような視点からあの様な碑文を書かれたのか関わらず
    恣意的に利用しやすい為、政治的、イデオロギー的、に
    悪用され、その挙句、日本人は戦後から現在まで、いや未来永劫この碑文に振り回される事でしょう。

    雑賀教授とこの碑文の問題は現在が証明しています。
    世界市民から「日本人は一握りの市民で有るが故に」罪と罰
    を受け入れ、自国内の外国人、左翼陣営は怨念のイデオロギーを我々にぶっつけている。これらを是正するのは精神
    障害を治療するかの様な、気の遠くなる様な忍耐と努力が
    必要なのです。
    だから、雑賀教授とその碑文は悪なのであり、理屈なんて
    不要、現実を見つめれば、その碑文を如何様に持ち上げ様とも弊害の方が万倍以上大きい

    私は、長崎、広島を訪れた時は必ず原爆資料館を訪れます
    本当に酷い、凄惨です。これで如何して「安らかにお眠り下さい。過ちは二度と繰り返しませんから」と言えようか。










    • 2014/08/09 (Sat) 23:04
    • REPLY

    NP

    そうは思わないなぁ~

    Alinamin2011 URL | 2014/08/09 19:54
    さん


    >私はあの碑文はあれでよいと考えています

    まったく言っている意味が分からない。

    そもそも、この主語不明確で解釈問題さえ起こすような碑文である必要性はまったくない。

    (1)
    ちょっと考え方がおかしいのではないのか?
    まず、この広島(長崎も同様)では明確に日本人の一般市民の被害者と米国という加害者が存在する。
    しかもその加害者はいまだに戦争を早期に終結させた意味のあることと多くは捉えている。

    そこで過去を流すというのであればこの自虐的碑文はないでしょう。

    (2)
    >碑文は、もはや起草者の手を離れている。
    とはまったく勝手な解釈ではないでしょうか?
    今からでも碑文を廃棄するという選択肢もあるわけで、これを残していることこそ自虐史観に居続けたいという心理だと思えますよ。


    この度、「河野談話」に関係する朝日新聞のウソが露呈し、今話題となっている。
    そのように過去の事実でない捏造を否定しない限り、いつまでも侵略史観にしたい中国、韓国、そして日本の反日勢力は日本攻撃の材料として使用する。
    それと同様で間違っている碑文設置を放置することは結局日本を賤しめる材料を残すことになりますよ。

    • 2014/08/09 (Sat) 23:50
    • REPLY

    なつこ

    意味するものは

    長崎の原爆投下後、死んだ弟を背負って裸足で焼き場に立つ少年の姿を米軍カメラマンが撮った写真をご存知でしょうか。

    唇をきっと噛みしめ、死んでしまった弟をおんぶ紐で背中にくくり、直立不動で前方を向いた少年は、その汚れた服と半ズボンから出た両の足は被曝を受けたような様でもあります。

    泣くことも叶わず、この世の理不尽を一身にその小さな体で受けとめ、ひたすら順番を待っているその姿は、今を生きる日本人には、到底追いつかぬ魂の強靭さを見てしまうのです。

    おそらく、この子は天涯孤独な身の上となっていたのでしょう。親が元気でいれば、死んだ弟をおんぶ紐で背負って焼き場に出向くというそんな辛い経験しなくて良かったでしょうから。
    この子はどうやって混乱、激動の戦後日本を生きていったのでしょう。
    あまりに健気で凛としたものを漂わせる少年の、その後の悲惨な境涯が思われ胸がかきむしられるばかりです。

    想像してみてください。「過ちは繰り返しませぬ」とこのいたいけな子に言わせることが出来るのか。
    この子が味わった苦難にこの言葉がどんなに鞭打つものか。
    書かれた日本語を素直に読めば、「日本は悪うございました。過ちは繰り返しませぬから」となり、やはりそれは間違いです。

    それにしても、吉永小百合さん、
    力をふりかざした邪悪な国々の不正義がまかり通っている国際世界において、平和、平和と唱えていれば、敵は攻めてこないのでしょうか。
    あなたはいつまでも美しく、ピュアな精神をお持ちです。ただ一つ貴女に備わっていないものは想像力です。
    日本を代表する大女優にしては、恐ろしく想像力に欠けていることです。

    悪意を持った集団が用意周到に準備し、あらゆる手立てを使い、謀略をもって攻撃を仕掛けてくることを冷徹な思いで巡らせることが出来る人が、日本人を護りたいと心底、思っている人です。
    核攻撃されることのない強い国でなければ、どうして死んでいった人々の無念に報いられるのかと考える人です。

    確か、加瀬英明氏が仰っていたような、
    「日本は二度と戦争に敗けるという過ちは繰り返しませぬから」と。
    過ちは戦争に敗けたことなのですね。

    末田様
    お勧めのブログ拝見しました。
    なるほど、自在に言葉を駆使して一つの世界を展開なさっているふうに驚きました。

    また管理人様はじめ読者の才能豊かなコメントは、短きも長きも夫々に得心の行く書き様で、愉しませてくださいます。これも末田様が仰るように「管理人様の一つのスレッドに触発され多様な情感を抱かれた」証だと思います。
    議論百出の賑わいとなれば楽しさ倍増でしょう。いいえ、数の多さは程度ものでした。(^^ゞ

    • 2014/08/10 (Sun) 01:42
    • REPLY

    GHQの置き土産

    ネットにより敗戦自虐史観が間違っていた事が証明されています。洗脳の呪縛から目覚めなければなりません。
    亜細亜を白人植民地から開放し、自衛の戦いに倒れた幾百万の英霊に感謝し、自主独立を目指す日本国家を築こうではありませんか。

    安倍総理の戦後レジウムからの脱却を理解し、日本人自ら内憂外患を払拭していかなければならないのではないでしょうか。

    戦後69年間からの眠りから覚め新たに国家建設を再構築しようではありませんか。

    マスごみ、左翼教育を正しくするだけで日本はよみがえります。皇紀2674年、 万歳、万歳、万歳。

    yasu

    術中にはまった

    >碑文として秀逸であるとすら思っています。

    あれこれ考察した結果がこれ?
    堂々巡りした挙句、
    結局貴君は敗戦利得者の術中にはまってしまった。
    ただ、それだけのことですね。
    あの碑文は、日本を永遠に敗戦国として固定化するための呪文ですよ。

    • 2014/08/11 (Mon) 10:26
    • REPLY

    伊豆守無宿

    廣島市議會「原爆慰霊碑即時撤去」陳情

    廣島市議會ニハ現在約千名乃「原爆慰霊碑即時撤去署名」カ提出済。

    愛知のミッチー

    原爆死没者慰霊碑の碑文「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」と記してある以上、主語がアメリカであるのは明白です
    碑文にアメリカ合衆国大統領の名を刻んで貰ってこそ、原爆死没者の霊魂が少しは癒されると思います 恐らくそれは実現出来ないでしょうから、この碑文を撤去すべきか碑文をシンプルに「安らかに眠ってください」と記しただけが良い様に思います

    • 2015/08/08 (Sat) 09:25
    • REPLY

    (名前空欄)

    もうそろそろ

    「過ちは繰り返させませんから」にすべきです。

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