神風特攻隊の意味を日本人以上に理解してくれたフィリピンの人たち

フィリピンを襲った台風30号による甚大被害。この太平洋を隔てた友好国が破壊的な台風で被った被害の様子を、我々日本人は画像や映像でしか知ることはできないが、我らが空軍、海軍はいち早く動き、救援の手を差し伸べようとしている。一部の疑似日本人が騒ぎ立てるオスプレイも、その有能さを如何なく発揮し、実力のほどを余すところなく見せている。
フィリピンが日本の友好国であることは疑いもないが、一般的に語られる友好とは別の次元で、彼等は我々日本人が忘れかけている大切なものを示してくれている。キーワードは“神風”。

フィリピンのルソン島、パンパンガ州マバラカットで、2000年10月25日、現地の州知事やフィリピン空軍軍楽隊などが参加し、神風特攻隊の戦没者慰霊祭が行われた。この日の56年前、マバラカット基地を史上初の神風特攻隊、「敷島隊」が飛び立っている。戦後日本では「無謀な戦術」と喧伝され続けた神風アタックは、現地フィリピンの人達にとっては英雄だったのだ。上の画像は、その名も「第二次世界大戦に於いて日本神風特別攻撃隊が最初に飛び立った飛行場」。特攻隊への顕彰碑である。1974年に建てられ、いまは旭日旗を讃えた立派な碑に改修されている。
この慰霊祭と同じ日に、タルラック州バンバン村でも慰霊祭が行われている。ジャーナリストの井上和彦氏は、慰霊祭に参加した地元サンロック高校の女子高校生達にインタビューして驚いたという。
「Brave!(勇敢)」
「フィリピンにも英雄はたくさんいます。ですから私たちも神風特攻隊という日本の“英雄”を大変尊敬しています。」
「勿論、カミカゼのパイロットを尊敬しています。だってあの人たちはヒーローですもの…」
戦前・戦中を軍国主義として全否定し、“戦後、日本は生まれ変わった”という歴史観を植え付けてきた日本の戦後教育と比べれば、祖国を守るために命を賭した軍人を、分け隔てなく英雄と称えるフィリピンの歴史観こそがより“世界標準”に近いだろう。ここにある慰霊碑には、こんな記述もある。
太平洋戦争中の日本の「神風」は全ての戦争歴史の中で最大の軍事目的の体当たり組織である。外国の侵攻から日本本土を防衛する為に死に物狂いの手段であった。この地に訪れる参拝者の皆さまに謹んでお願いします。全ての「神風」と比米軍を中心とする連合軍戦没者に対して永遠に安らかにお眠りください、そして、全世界の平和の為に祈りますと祈念してください。
マバラカット観光局長
ガイ・インドラ・ヒルベロ
祖国のために戦い、散華した英雄たちのことを、国を超えて讃えてくれたフィリピンの人達は、東日本大震災でも暖かい手を差し伸べてくれた。今度は我々日本人が手を差し伸べる番である。
今日は書かなかったが、偉大なる親日国、パラオ共和国が被った被害についても忘れないで戴きたい。義援金のあて先は下記の通りだ。
パラオ大使館が台風30号被害の義援金受付を開始
投稿日時: 2013-11-18
18日、在京パラオ大使館は、先にパラオ北部のカヤンゲル島に壊滅的被害をもたらした台風30号(英語名:ハイエン)の被害に対する義援金の受付を開始することを決めました。
現金書留の方は以下の住所にお願いいたします。
160-0001 東京都新宿区片町1-1 パレクリスタルビル201 パラオ共和国大使館宛
電話:03-3354-5500
11月19日追記
在京パラオ大使館から義援金の振込み口座の案内がありました。振込口座は以下のとおりです。
三菱東京UFJ銀行 四谷支店 普通 0172126
名義:パラオキヨウワコクタイシカン (パラオ共和国大使館)
義援金に関するお問い合わせ:アンナ・ヒデオ一等書記官
(メールの場合は、hideo@palauembassy.jpまで)
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