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    ペリー提督とイザベラ・バードと慰安婦問題

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     田嶋陽子のような自称フェミニストのお陰で、日本では歴史的に女性は虐げられる存在だったと信じている人がいるとすれば、それは悲劇である。例えば、自分たちが未来永劫「日本による軍国主義の被害者」でなければならない南朝鮮のように、田嶋の場合は、古くから現在に至るまで、女性が常に弱者で在り続けなければならないのだ。

     人が狩猟民族であった時代、男は専ら狩りに出かけ、家族を喰わせるのが役目だった。一方、女性は、子どもを育て、家を守る立場だった。確かに時代は変わったけれども、共生社会には役割分担があるというのが常だ。

     では、日本の女性は常に虐げられる存在であったのか。田嶋のような人物は認めたがらないだろうが、ここに客観的な証人が存在する。今から160年前、武力による威嚇で、日本に開国をせまったマシュー・ペリー提督である。ペリーは幕末のころに日本を訪れ、江戸の庶民生活をつぶさに観察した。彼の旅行記には、このような記載がある。

     「ほかの東京諸国にまさる美点は、女性が伴侶として扱われ、単なる奴隷として待遇されていないことである。日本の母や妻、娘は、中国女性のように家畜でもない。一夫多妻制が存在しない事実は、日本人があらゆる東洋諸国民のうちで最も道徳的であり、洗練されている国民であることを如実に表している。この恥ずべき習慣のないことは、単に女性の優れた性質のうちに表れているばかりでなく、家庭の道徳が大いに一般化している結果なのだろう。(中略)日本人女性の容姿は悪くない。若い娘はきれいな格好をし、美しく、立ち振る舞いは大いに活発であり、自主的である。それは彼女らが比較的高い尊敬を受けているという自覚から来るものである。日常的な友人同士、家族同士の交際には、女性も加わり、訪問や茶会は、合衆国と同じように日本でも盛んに行われている。」


    ペリー提督

     ペリーは、今まで知られていなかった極東の島国の文化水準に驚いた。女性の社会的地位の高さも、上述のように表現している。彼は、「国民に自由を与えれば、日本人はもっとも成功している工業国民(英国)にいつまでも劣っていないだろう」と称賛まで惜しまなかったのだ。(ちなみにペリーの言う“自由”とは、西洋的観点から見た“自由”であって、日本のそれとは明確に異なる。)

     ペリーの役割は、米国にとってのアジア市場の開拓だった。当然ながら、支那も観察している。彼は、当時の支那と日本を自分の目で観察し、比較し、「日本の女性たちは、中国女性のように家畜ではない。」と著述した。ペリーが李氏朝鮮に寄稿したかどうかは知らないが、朝鮮についてはもう一人の証言者がいる。英国の女性紀行作家、イザベラ・バードだ。

    朝鮮の女性の地位

     朝鮮の下層階級の女性は粗野で礼儀を知らず、日本のおなじ階層の女性のしとやかさや清国の農婦の節度や親切心からはおよそほど遠い。
     着ているものは汚れ放題で、夜遅くまで休みなく洗濯をするのは自分たちでも、きれいな衣服を着るのは男の専売特許と言わんばかりである。どこの小川のほとりでも平らな石の上にしやがんでいる洗濯女がいて、洗濯物を水につけたり、固くしぼって石の上に置きへらでたたいたり、灰汁にひたしたりしている。(中略)
     朝鮮女性の地位の現状を推しはかるのはじつにむずかしい。完全に蟄居するのが上流階級では厳然としたルールなのである。女性には専用の敷地と住まいがあり、男性用の住まいの窓はその方向に開いてはいけないことになっている。
     客も訪ねた家の女性についてはいっさい言及してはならない。元気かどうか尋ねるなどもってのほかで、女性はいないと考えるのが礼儀なのである。女性は教育を受けず、どの階級においてもきわめて下位に見なされている。
     朝鮮人男性は女性とは当然男性より劣ったものだという、ある種一元的な哲学を持っている。学校時代に『童蒙先習』、『十八史略』、『小学』でこういった見方を植えつけられ、おとなの男たちとつきあうようになると、それがますます強化されるわけである。


     イザベラ・バードが朝鮮半島を訪れたのは1890年代の中盤である。つまり、ペリーの黒船から約40年後だ。朝鮮半島における女性の地位は、40年前の日本女性のそれとは似ても似つかなかったものなのだ。

     戦後、朝日新聞と朝鮮民族によって創作された、いわゆる従軍慰安婦なるものは、この女性に対する男性や社会の見方がひとつのカギになるようにも思う。イザベラ・バードが朝鮮紀行を書いた、たった50年後、ペリーが江戸の文化を見た約90年後に起こったとされる慰安婦問題だが、その短期間で果たして両国における女性への見方が処遇が劇的な変化を遂げたのか。歴史を紐解くには、南朝鮮や女性が常に被害者であり弱い者でなければいけないという前提を取っ払うことが先決である。


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    5 Comments

    ねこ

    No title

    国際的に「日本の女性は伝統的に虐げられてきた」というイメージがあるようですが、歴史的事実ではありませんね。

    日本の女性は古くから読み書きができ、教養は男性と変わらないぐらいのものがあった。紫式部や清少納言のように千年も昔に女性の文学者達がいたのは日本ぐらいのものでしょう。お洒落やグルメも楽しんでいたし、家に閉じ込められることもなく物見遊山にもよく出かけた。政治にも役職に就いてないだけで結構口出しをしていた。どこの国の政治でも、重要な政策の決定は必ず大奥の女性達の許可を得る必要があったようです。

    日本についての情報が海外に流れ始めた幕末・明治初期という時代はちょうど欧米でフェミニズムが最初に始まろうとしていた時期だったようで、そういう風潮を嫌った向こうの男性が礼儀正しくて外見も小柄で優しそうに見える日本人女性に過分な幻想を抱いてしまったのではないでしょうか(笑)。もう少し正確に情報が伝わっていれば、おそらくそういうイメージが生まれることはなかったでしょう。

    慰安婦問題には「日本は女性が差別されてきた国」という偏見も影響しているでしょうから、歴史的事実を知らせてそういう誤解を解くのも問題解決のきっかけになるかもしれません。

    No title

    宮脇淳子先生の話を聞けば聞くほど、事実と違う歴史を学んできたことがわかります。

    嘘の歴史からも、脱却しなくては!!

    • 2013/10/29 (Tue) 17:53
    • REPLY

    No title

    戦時中に労働者として強制連行されるなどした朝鮮人名義の郵便貯金通帳数万通が、本人に知らされぬままゆうちょ銀行福岡貯金事務センター(福岡市)に保管されている問題で、同行広報部は29日までに、取材に「一般論として(個人の請求権は消滅したとする1965年の)日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決している」と回答、払い戻しは困難との認識を示した。


    *+*+ 47NEWS +*+*
    http://www.47news.jp/CN/201310/CN2013102901001348.html


    http://www.m9l-o-l.com/archives/33574109.html

    • 2013/10/29 (Tue) 17:53
    • REPLY

    No title

    広島県
    「証人いないが証言に信憑性ある」
    「広島市で被爆したと総合的に判断できた」
    韓国人六人に被爆者手帳交付へ


    被爆者健康手帳の交付を申請した韓国人の男女6人に対する交付の可否を判断するため、韓国に職員を派遣して調査していた広島県が、6人全員に
    手帳を交付する方針を決めたことが28日、分かった。

    聞き取りなどから「信ぴょう性がある」と判断し同日、交付通知の文書を郵送した。
    県が海外に職員を実地調査で派遣し、手帳を交付するのは初めて。

    6人は68~83歳で、釜山市やその近郊に住む3人ずつの2組のきょうだい。
    1組は爆心地から3・5キロの庚午北町(現広島市西区)、
    もう1組は4・5キロ離れた祇園町(現安佐南区)で被爆したとして3月と7月、県に申請した。

    しかし当時の記憶がある年長者が難聴で電話での聞き取りが困難だったため、
    今月7~9日に職員2人を現地に派遣した。

    現地では2組から約3時間ずつ聞き取り、
    (1)原爆投下後の自宅や周辺の損壊状況
    (2)8月6日の過ごし方
    (3)通っていた学校の構造―など15項目を確認。
    県や広島市が蓄積する資料の内容とほぼ合致した。

    いずれも証人はいないが、県被爆者支援課は
    「広島市で被爆したと総合的に判断できた」と結論づけた。

    被爆者と認定できると判断された申請者は来日すれば手帳が交付される。
    渡航費は日本の国費で賄う。

    長崎県、市は電話での聞き取りが難しい場合、現地に職員を派遣して計約60人に手帳を交付している。広島県被爆者支援課は「原爆投下から68年が過ぎ、被爆者の高齢化が進んでいる。被爆者の目線でより丁寧に対応したい」としている。

    http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201310290042.html

    http://www.hoshusokuhou.com/archives/33582793.html


    嘘の慰安婦を世界に広め、被爆の証人もいないのに、認定する広島県を許せない!

    • 2013/10/29 (Tue) 18:14
    • REPLY

    こはる

    No title

    現在でも米国映画等に描かれる日本人は中国人?と間違われている様な作品が多いですから、特別に日本に関心がない多くの外国人にはあやふやに「東アジアは一つ」感覚なのではないか、と感じます。

    イザベラ・バードの「朝鮮紀行」は、若い頃には然程朝鮮に関心が無かった私には、朝鮮人の生活風習記述は直ぐには受け入れられない驚きばかりでした。英国人の優越感が書かせているのでは?と思える程の奇妙で醜悪な風習の羅列。
    そして、同じバードの「日本の未踏路」で描かれて居る緻密な踏査の東北・北海道編などを参考にすれば、同人の「朝鮮紀行」は白人に依る誇張や曲解では無い事が分ります。
    日本では案内人を連れただけの外国人女性の一人旅が安全だったことにバードはとても驚嘆しています。私はその時代に極東を旅するこの女性が驚きでしたが。

    神話を引き合いに出すまでもなく、日本人の特性は本来大らかで明るいものだと思うのですが、いつの頃からのイメージ造りか、暗く惨めな女性や庶民像が広められていますね。

    江戸時代には女房の豪華であでやかな衣装競べが昂じて店を闕所にされた商家、今で言う役者追っかけの町娘、琴・三絃のお稽古などなど、ふと思いつくだけでも結構な自由がある日本女性だったと思います。
    唯昔の自由にはしっかり義務規範もあり、それを外れたら厳罰がその家その町内の自治としてあったのだと思います。
    勿論飢饉時の農村では男女共に生き死にの問題で、品種改良も進まなかった時代の飢饉は悲惨そのものだったと思いますが。
    時代が前後しますが、飛鳥時代あたりでも宮廷での女性の働く場はあり、恋愛も花盛り。
    日本ではビジネスウーマンの歴史は考えると長いですね。

    「慰安婦」と聴くと悲しく哀れでジメッとしますが、売春は古代ローマ時代からの原初的商売とも言われます。
    加害・被害の売春か、商売としての売春か、峻別することは大事だと思います。
    特に国家の名誉がかかっている時には。

    • 2013/10/29 (Tue) 18:29
    • REPLY

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