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    安倍首相の「遷御の儀」参列を批判する、朝日新聞のクズっぷり

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     伊勢神宮の式年遷宮は、2日の夜にそのクライマックスを迎えたが、1929年の浜口雄幸首相(当時)以来、84年ぶりに遷御の儀式に出席した安倍首相を、朝日新聞が必死に批判している。消費増税の発表で支持率を落としそうな安倍首相を叩く千歳一隅のタイミングと思ったのか、感情的な産経新聞のお株を奪うような書きっぷりだ。

    遷御の儀

    「戦前回帰」「日本の文化」 に84年ぶり首相 (朝日新聞)

     安倍首相が2日夜、伊勢神宮内宮の「遷御(せんぎょ)の儀」に参列した。国家神道が隆盛だった1929(昭和4)年以来、戦後初の首相参列は何を意味するのか――。
     日本キリスト教協議会の靖国神社問題委員長、坂内宗男さん(79)は「憲法に定められた政教分離の原則に反する行為だ。非常に深刻に受け止めている」と強い調子で批判した。安倍首相が靖国神社の秋季例大祭に参拝することも想定し、7日に委員会を開く予定だったが、「この問題も協議し抗議文を出したい」。
     首相の正月参拝は定着しているが、戦後3回あった式年遷宮に首相が参列した例はなく、前回は官房長官らの参列にとどまっていた。坂内さんは「伊勢神宮の公的位置づけを強め、国民にそういう意識を広める狙いがあるのでは」と危機感を募らせる。
     戦中の国民の暮らしや教育、報道を描き、靖国問題に関する著書もある児童文学作家の山中恒さん(82)は「かつて伊勢神宮は祭政一致、国体原理主義の総元締だった。安倍首相の行動は明らかに戦前回帰」と批判する。
     国学院大学の大原康男名誉教授(71)=宗教行政論=は「安倍首相だけが突出しているわけではない」と話す。戦後の式年遷宮があった年の首相3人のうち、吉田茂、田中角栄両氏は「遷御の儀」には参列していないが、機会をみて参拝をしてきたという。
     憲法が定める政教分離原則については、「津地鎮祭訴訟」最高裁判決(77年)で、目的として宗教的意義を持ち、宗教に対する援助や助長などの効果がある場合に違憲になるという考えを示した。大原氏はこの判決に触れ、「日本人の心のふるさとと言われているところでもあるし、日本の歴史や伝統、文化に鑑みて首相が参列するのであれば、特定の宗教を援助や助長、促進することにならないから憲法違反ではない」と説明した。

    ■遷御の儀に参列した8閣僚

     麻生太郎副総理兼財務相、下村博文文部科学相、田村憲久厚生労働相、林芳正農林水産相、石原伸晃環境相、古屋圭司国家公安委員長、山本一太沖縄・北方相、稲田朋美行革相


     この記事は明らかに、安倍首相の批判ありきで書かれたものだ。そのため、わざわざ反日組織にコメントを取りに行って、あたかも公平な第三者が批判しているという体を取っているが、国学院大学教授のコメントを挟み、起承転結の転を除いては全てが一方的な批判である。公平を装う第三者のコメントによってターゲットを叩くというのは、頻繁に使われる手法であり、意識的に使われるメカニズムだ。記憶に新しいのは、麻生副総理のナチス発言の際、サイモン・ウィーゼンタール・センターというユダヤ人権団体にコメントを取りに行き、ユダヤ人に副総理を批判させた一件だ。坂内某もユダヤ人権団体も、かかる件に関しては明確な利害関係者であるにもかかわらず、だ。

    坂内宗男
    坂内宗男
    聖書講義のなかで、「日本の天皇制を偶像崇拝と批判
    (中央日報より)

     この記事を真面目に書いている朝日新聞の記者 ―― 哀れというほかない。国籍すら怪しいので、今後は是非署名記事にしてほしいものだ。キリスト教をカモフラージュに使う反日活動家に「安倍首相の行動は明らかに戦前回帰」と語らせるのだが、約1300年にわたる式年遷宮の歴史から見れば、昨日できたような戦前だの戦後だのの議論を持ち出すこと自体、奇異に感ずる。そもそも、安倍批判のためなら、皇室をも批判する、反日臭漂う宗教団体すら利用するというところに、メディアの矜持など欠片すら感じられない。

     政教分離を規定した日本国憲法憲法第二十条は、米国憲法第一条を直輸入したものだ。直輸入だけならまだしも、米国は日本人の精神的支柱を神道と見做し、日本人を骨抜きにするために、神道を他の宗教と相対化させた。これは、悠久の歴史の中で培われた、神道が根付く日本文化に対する破壊行為である。

     江藤淳はこう書いている。

     政教分離、信教の自由といいますが、実は正確にいえばアメリカですら政教は厳密には分離されていない。ジュデオ・クリスチャンの祭祀によってあらゆる儀礼が行われている、文化的伝統を考えてみれば、こんな当たり前のことはないんですね。イギリスもそうです。女王が英国国教会の首長であることは周知の事実で、女王の宗教的役割は、信仰の内容は違うにせよ、帝国憲法下の天皇に類推し得るものと考えられる。それこそ英国のConstitution だからです。
     それにもかかわらず一部の憲法学者は、そういう事実を一切無視して、合衆国憲法修正第一条に規定されている政教分離なるものに呪縛された議論しかしようとしなかった。もとより現行憲法第二十条は、合衆国憲法修正第一条の忠実な反映だからでしょう。ところが憲法には総て歴史的背景があります。合衆国憲法修正第一条は、アメリカ独立当時の十三州におけるキリスト教各宗派間の複雑な勢力関係を背景にしている。そのなかで政治的安定を確保するために、国がある特定の宗派に優越的な地位を与えないということを規定した条項にすぎないのです。


     坂内某も朝日の記者も、発想が余りに反日に偏り過ぎているため、安倍首相が公式の食事会などで食前に手を合わせて「いただきます」とやったら、「それは神道の儀礼だ!」と言い出しかねない類の、疑似日本人と思える。政教分離の戦後利権者に、歴史の重みなど感じろと言っても無理である。私は憲法改正を切望する者のひとりだが、前文、九条とともに、二十条の改正が、今後の日本にとって非常に重要だと考えている。


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    3 Comments

    yasu

    伊勢神宮にはお参りするのに

    安倍さん
    伊勢神宮にはお参りするのに
    靖国神社は春の例大祭、終戦の日と参拝を見送ったのは
    やはり支那やゴキブリへの配慮ということですね。
    秋の例大祭はどうするのでしょうか。
    あまり期待できませんね。
    最近のヘタレぶりには本当にがっかりです。
    こんなことで日本を取り戻せるのでしょうか。

    • 2013/10/04 (Fri) 10:36
    • REPLY

    こはる

    No title

    伊勢神宮の二十年御遷宮は持統天皇の頃からの伝統行事だと云います。
    日本国の首相や大臣・議員がその伝統式典に参列して何が問題なのでしょう?

    日本には一木一草全てのものに宿る神を古来より人々の心の拠り所とし、清浄なる神域を大事にお守りするのが普通の日本人の習性として来たのですから、その意味でも日本人を代表する公人が参列されるのは当然の事です。

    政教分離がそれほど大事なら、何で公明党をやり玉に挙げないのでしょ?そちらには批判どころかむしろ「お仲間」状態の様に見えます。

    朝日の記者は昨今の日本人の神域参拝が大人気なのもご存じないか、無視したいのか?
    ニュースを扱うお商売としても「遅れて」ますね。民意が何処にあるのか、少しは現実を見て戴きたい。

    靖國には己が身に換えて日本をお守りする為に戦って下さった神々がお座りなのですから、秋季例大祭にはどうか正式にご参拝戴きたいものです。

    • 2013/10/04 (Fri) 23:40
    • REPLY

    よっちゃん

    まつりごと

    ここで江藤淳が引用されることには良い意味で驚きです、
    日本では天皇が政府に政治を託し、天皇の民としての皇民をよろしく頼むと権限委譲しています、これが例え儀式として行われているとは言え、国体は天皇を要として扇の様に開いているのが日本だと思います。この源は国が日の本として始まって以降、不変のものとも思います。
    一方歴史の浅いアメリカ合衆国では建国以来の要となる家長はいません、しかし代わりに国を治める契約期間はその最高権力者として神に聖書に忠誠を誓います。
    政治と宗教はその求めるものは全く違いますがある意味始点は近いものがありそうです。しかしながら天皇も神も特定の集団の幸福や繁栄を願っているものではないと思います。従って宗教集団から政治へのアプローチは真逆のものと考えます。

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