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    地下鉄サリン事件から18年

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    今日、3月20日は、イラク戦争の開戦から10年目に当たる。
    今朝の主要紙の朝刊の社説は、この話題で埋まった。朝日、毎日、中日など、反戦平和が仕事化している新聞は、ここぞとばかりに「イラク戦争10年」を取り上げ、当時の政府の判断を追及している。
    なるほどそれも重要なトピックだろう。
    しかし、もうひとつ、重要なトピックがある。今日3月20日は、地下鉄サリン事件から18年目の日なのである。

    麻原彰晃

    地下鉄サリン事件は、1995年の3月20日に起きた。
    この1995年は、国家にとってはまさに厄年とも言える年だった。地下鉄サリン事件の前には、あの阪神淡路大震災が起き、多くの人命を奪うと共に、この地区の都市機能を破壊した。
    もうひとつ象徴的だったのは、この年の東京、大阪両大都市の知事選で当選を果たしたのが、青島幸男、横山ノック両氏であったことだ。青島氏らの当選を厄年と絡めるのは甚だ失礼だろうが、当時の都民の選択については、いまも理解に苦しむ。
    重要なことは、この当時の政治体制が「自社さ政権」の手中にあったことである。村山富一首相、河野洋平外相、野中広務国家公安委員長の時代だ。言うまでもなく、その後の日本外交を制約することになった村山談話は、この1995年に発表されている。

    村山談話は別として、こういう政治体制と不幸な出来事に因果関係はないだろうが、逆に、不幸な出来事に対して政治が何ら有効な対策を打てなかったという見方は、今も成り立つのである。
    宗教法人とは名ばかりのオウム真理教は、実はテロ組織だということが、後の検証で明らかになった。ところがこの政権は、このテロ組織への破壊防止法適用をためらいつづけた。公安調査庁が適用を求めたのに対し、公安審査委員会が反対したためである。当時の公安審査委員会会長は弁護士の堀田勝二氏。“人権の擁護と能力の向上に努める”とする第一東京弁護士会の元会長だ。

    オウム一派は、リモコンのヘリコプターを使って皇居にサリンを撒布し、ハルマゲドン、世界最終戦争をやるという妄想に取りつかれていたと、当時の産経新聞が報じている。同時に、都市ゲリラが一斉蜂起し、首都東京を修羅の巷と化すことまで計画していたという。
    これは二二六事件のような、国家を憂う青年将校らが起こしたテロとは全く異質のものだ。建国以来はじめて、日本を滅ぼす要素が、外敵ではなく、国内にあるということが明るみになったのである。
    日本は帝国憲法時代から今まで、一度も内乱罪を適用していない。五一五事件も然り、二二六事件は軍刑法で裁かれ、死刑になっている。国の中から国家の崩壊、転覆を画策する動きに歯止めがあったという事の証左である。
    この内乱罪が、オウムには適用されて然るべきだったのだ。
    破防法も内乱罪も適用されず、松本智津夫の裁判上での罪状は殺人罪・殺人未遂罪だ。国家の転覆に関して言えば、検察はその意図を認めなかったという、おかしな展開で、松本の死刑が確定しているのである。

    私はあの日、偶然にも転勤先の名古屋から東京に戻っていた。宿泊先の勝どきのホテルから東銀座にある会社に行こうとして、バスを待っていたのだが、一向にバスが来ない。諦めて歩こうと、勝鬨橋を渡っていた時、上空にヘリコプターが何機も旋回しているのが見えた。そして築地の交差点に差し掛かった時、右手にあの修羅場を目撃した。あの光景を忘れることはできない。数ヶ月前まで通勤に利用していた地下鉄日比谷線でのテロ行為だった。

    建国以来はじめての国家転覆テロ事件から、たった18年である。
    事件で亡くなった被害者のご冥福をお祈りします。


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